2017年の12月、25歳のときに左胸のしこりに気づき、翌年初めの検査結果で若年性の乳がんが発覚した矢方美紀さん。元SKE48のメンバーとして活躍していた彼女は、2018年の4月に左乳房全摘出とリンパ節切除の手術を受けたのち、自身の病状をウェブ上で公表。そして手術から1年が過ぎた今は、再発や転移もなく、ホルモン療法を受けながら芸能活動を続けています。
現在、国の調査では10代~30代まででがんにかかる人は年間約2万人いることがわかっています。思春期、若年成人にあたるこの年齢は「Adolescent and Young Adult」の頭文字を取り、「AYA世代」と呼ばれ、進学、就職、結婚、出産など人生の節目を迎えます。「ESSE読者にも該当するこの年齢だからこそ、がんは他人事ではないと知ってほしい」という矢方さんから、お話を聞きました。
元SKE48の矢方美紀さんが語る、乳がん闘病しながら生きること
●「病気とは無縁」と思っていた私が、セルフチェックで気づいた左胸のしこり
声優を夢見て17歳で芸能界入りした矢方さん。名古屋に拠点を置くSKE48のメンバーに入り、2017年2月に卒業するときはチームSのリーダーを務めるまでになっていました。ステージやテレビで活躍し、病院へ行くのはせいぜい歯医者さんか、風邪を引いたときくらい。「私は病気にはならない!」と思っていたといいます。
そんな矢方さんが乳がんについて考えたきっかけは、2017年の6月に亡くなった小林麻央さん。まだ30代だった彼女の死の報道に触れて意識するようになり、自分でもセルフチェックをしてみたところ、左胸にしこりを感じたのです。
「人によって差はあるのですが、私の場合は、右胸にはない、明らかに硬いしこりが左胸にありました。でもこんなことぐらいで病院とかって行っていいのかな…という気もして。周りの方に相談したところ『迷っている場合じゃない』と強く促され、病院へ。2017年の年末のことでした。そこからエコーやマンモグラフィー、細胞診、組織診と、どんどん精密検査が進んでいき、2018年の年明けに乳がんの診断を受けました」
そのときは実感がなく、自分のおかれている状況と病名に戸惑ったといいます。
「痛みや熱、吐き気があるわけではなく、体の調子はいつもどおりだったんです。こんなに元気なのに先生から聞かされたのは、乳がんという言葉。間違いなのではないかという気持ちと、なぜ20代の私が? とショックしかありませんでした。『私、あとどれぐらい生きられるのかな』『もう寝たきりになっちゃうの?』と思ったことも覚えています」
でもわかった以上は前へ進まないと、と気持ちをきり替え、治療方針を調べ、左胸全摘出とリンパ節切除の手術を受けました。
「手術の結果次第では、飲み薬だけで終わるのかなとも思っていたんですが、私の場合は、ステージIIBと言われていたのが、手術後にステージIIIAであることがわかり、さらに抗がん剤治療が必要な状態でした」
●抗がん剤の副作用への戸惑いと、日常の中での工夫
2018年4月の手術ののち、抗がん剤、さらに放射線の治療、それが終了したら飲み薬とホルモン注射を受けていく治療方針に踏みきった矢方さん。最初の抗がん剤投与は、手術翌月の5月からスタートしました。
「最初の1、2回は、体が拒絶反応を起こし、吐き気など強い症状が出ました。でも不安や悩みは病院の方に相談し、薬を調整してもらいました。私の場合は2週間に1度×4回、その後は1週間に1回×12回のペースで抗がん剤治療を受けたのですが、だるさは、最初のクールの3回目ぐらいから落ち着いてきました。まだ様子を見ながらでしたが、治療が進むにつれて仕事を入れられるようにもなって。でもやっぱりショックだったのは、副作用で脱毛症状が出たことです。理解していたつもりでしたが、見た目の変化を受け入れるのには勇気が要りました」
矢方さんは、「こうなったら工夫するしかない」と気持ちをきり替えようと、抗がん剤の点滴を受ける日はあえておしゃれしていくなど、自己流で治療と生活との折り合いをつけようと格闘していたそう。
「最初はネットであれこれと調べて、ファッション用のウィッグを買いました。数千円代で売っているし、ショートもロングも好きに楽しめるし、なんだ、意外といけるじゃんって。それでも治療が進むうちに、抗がん剤の副作用で肌が敏感になり、ウイッグの繊維が合わなくなってしまったんです」
さらに脱毛だけではなく、指先の黒ずみも気になるように。
「私の場合は抗がん剤の治療時期が5~9月と肌を露出する夏に集中していただけに、余計に見た目の変化が目立つように思えてしまって…。そんな頃、がんに罹っている人の心と体の悩みをサポートしてくれるNPO機関(アピアランス・サポート)があるのを知りました」
アピアランス・サポートを受けて、自分ひとりでは知りえなかった情報や対策を知ることができ、ずいぶんラクになったといいます。
「私には年上用すぎるのではと抵抗があった医療用ウィッグも、じつはセルフオーダーメイドができて、化繊のものよりもずっと快適なことがわかりました。指先も、より黒ずみが目立たないジェルネイルの使い方を教えていただきました。治療を続けつつ、日々のなかでおしゃれを諦めたくない思いを、アピアランス・サポートで肯定してもらえたのはよかったです」
●闘病中でも普通の生活はできる
日常を快適にするための小さな工夫は、下着にも及びました。
「左胸を全摘出したとはいえ、医療用のブラジャーを使うのには抵抗がありました。ネット通販でしか買えないし、デザインも限られてくるし、医療用の下着を見ると、いかにも病人という感じがして心がモヤモヤしそうだったんです」
そこで思いついたのが、ブラカップつきのキャミソールをつけること。
「もともとシャツを着るときに、普通のブラの上からカップつきキャミソールを着て胸を盛って見せていたこともあって(笑)。そうだ、あの技を応用すればいいじゃん!と。1枚では左右の胸の形がまだアンバランスになるので、2枚重ねて着てみたら、組織から切り取った左胸もまったくわからなくなりました。少し大きめのサイズを選んでおけば、重ね着の窮屈さも感じません。最近ではレースつきなどデザインも豊富なので助かっています」
矢方さん自身、がん闘病というと、入院してなにもできないようなイメージがあったそうですが、「乳がんになっても、それまでと同じ常生活があることには変わりない」ということを実感したといいます。
「私の場合はお仕事も続けていましたし、プライベートでは友達の結婚式にも出席しました。抗がん剤投与ののち、放射線治療まで終えたあとには台湾へ遊びにも行きました! その頃には抜け落ちた髪の毛も生えてきていて、事情を知ってくれている友達が『あ~、髪の毛伸びてきてるじゃん』って、普通に接してくれたのがうれしかったですね」
「闘病を続けていても、私みたいに普通の生活ができる人もいることは、大勢の方に知ってもらいたいです」と話す矢方さん。
「病気をしたからといって、なにもかも変わるわけじゃない。自分の人生だから楽しまないと! と思っています」
そんな矢方さんの闘病をNHK名古屋放送局が1年間にわたり取材したドキュメンタリー番組『
26歳の乳がんダイアリー 矢方美紀』が、5月2日(木)21時より、BS1にて放送予定。また、この番組をもとにした書籍『きっと大丈夫。~私の乳がんダイアリー~』(双葉社刊)が発売中。ぜひこちらもチェックしてみてください。
※このインタビュー第2弾は5月2日に公開されます