母が介護施設に入ったタイミングで「あさぼらけ」は始まった
すべての画像を見る(全2枚)介護施設への入居をイヤだとは言わなかったという上柳さんの母親。
「母はとても穏やかで、自分のことよりも相手のことを考える人。施設に入る際も、自分と妹に迷惑をかけちゃいけないと気をつかって、黙って受け入れてくれたのかもしれません」と上柳さんは語ります。
ちょうどその頃始まったのが、ラジオ番組「あさぼらけ」。母親は少しずつ体を動かせなくなってきても、毎朝ラジオから聞こえてくる上柳さんの声を楽しみに過ごしていたといいます。
「母にとっての朝の楽しみにしてくれていて、私もマイクの向こうで聴いている母を思ってしゃべることもありました。『おふくろ元気か? 俺はこの通り、毎朝、元気でやってるからね』と」
コミュニケーションが徐々に取りづらくなってきた
そんな中でも、母親の病状はどんどん進行していきます。
「ある日、お見舞いに行った際に『扉の向こうに、着物を着た女の子が立ってるのよ』と指をさすのです。もちろん、そんな子はどこにも見当たりません。あやふやな言葉も多くなり、レビー小体型認知症の症状が進行しているのが分かりました」
パーキンソン病も含め、どちらも劇的に改善する方法はなく、進行を遅らせる薬を飲むしかありませんでした。
「その頃の母はまだ食欲があったので、病院の帰りに必ず回転寿司に立ち寄っていました。施設では新鮮な刺身がなかなか食べられないので、回転寿司を毎回楽しみにしていたようです。『おいしい!』とお寿司を頬張る母の笑顔をいつまでも見ていたいと思っていたのですが…」
少しずつ病気が進行していく中、コロナ渦に見舞われたことで会いたいときに会えない日々が続いたそう。次第に弱っていくお母さまを想いながら、上柳さんは毎朝懸命にラジオに向き合ったのでした。
このほかにも本書では、番組「あさぼらけ」が始まった経緯や番組名物コーナー「あけの語りびと」にて取り上げた全国各地のリスナーの紹介、そしてなによりも上柳さん自身が体験した長く苦しい闘病生活についても綴っています。
毎朝リスナーに少しでも前向きな1日を過ごして欲しいとの想いから、懸命に声を届ける上柳さん。還暦を過ぎても現役で働き続ける人、定年を迎えたことを機に新しい人生を歩み始めた人、親御さんの介護に向き合う人。本書は、それぞれの不安や悩みに優しく寄り添い勇気を与えてくれます。