「浮気されたみじめな女にはなりたくない」という決意が私を支えた
私とはレスなのに、夫はよそで女と遊んでいたんだと思ったら、心が“無”になりました。ショックや絶望の気持ちはなく、比較的冷静でいられたのは、写真で見た相手の女性が私から見てぜんぜん魅力的とは思えないタイプだったからです。
夫はクズだし、こんな女のせいで自分がみじめな存在になり下がりたくないと思いました。
●私が離婚することに迷わなかった理由
すべての画像を見る(全5枚)まさか自分がこんな安っぽいドラマみたいな状況に陥るなんて…。いったいどうしたらいいのか客観的なアドバイスが欲しくて、行政が主催している離婚問題を取り扱う無料の勉強会や相談会へ参加するようになりました。するとそこにいたのは、夫からの暴力や知らぬ間につくられていた借金に悩む人、そして私と同じように経済的なDVや夫の女性問題に苦しむ女性たち。
彼女たちの話を聞いていて気がづいたのは、すごくひどいことをされているのに、まだ夫を好きという気持ちが残っていて離婚に踏みきれないということ。
そのような女性たちの話を聞いていたら、私自身、子どもを1人で必死に育てて、義母の介護までして生活費5万円しか渡されず、たりない分は自分で働きにでてやりくりしているのことの異常さを自覚したんですよね。冷静に考えたら、なんでこんなに我慢をしていたんだろうと不思議になりました。
このような状況で女遊びをしている夫と結婚生活を維持していく理由なんて1つもありません。私にはもう、夫に対しての愛情はひとかけらも残っていませんでした。
●レスだったからこそ、夫をますます嫌いになれた
さんざんやりたい放題やっていたくせに、いざ離婚という話をしたら、夫は「絶対にいやだ」といって受け入れてくれませんでした。そりゃそうですよね、月5万で家のことをなにもかもやってくれる人なんて、そうそう見つかりませんから。私に対して愛があるような調子がいいことを言っていましたが、もうこのフェーズにくると心が揺れることすらありませんでした。
ずっとレスだったのもある意味よかったのかもしれません。行為で情が沸いたら、ダラダラと関係が続いてしまいそうな気もしますし。浮気については決定的な証拠まではつかめなかったので、本人は最後まで認めず。
最終的には10年間の別居をして、調停にかけて、やっと離婚に至りました。私はその間、病院勤務以外にも、子どもを育てるためにヤクルトの配達やスーパーのレジ打ちなど、時間があいたらできる仕事はなんでもして、とにかくお金を稼ぎました。経済的な自立をすることが、あの夫から逃れるいちばんの近道だと思ったからです。
●レスでもキレイでいられる
そして50代になった今、シングルマザーで子どもを育て上げた話をすると、周りの人には必ずびっくりされます。ずっと精神的にはボロボロでしたが、私は苦労が顔に出ないタイプだったのがかえってよかったのかもしれません。夫の浮気相手の顔を写真で見たあの瞬間から、とにかくみじめな女になりたくないというプライドが私自身を奮い立たせていました。
“セックスをすることがキレイの秘訣”という人もいますが、私は自分の経験から、女性もしっかり働いて、男に頼らずお金のゆとりを持つことのほうが大事じゃないかなと考えています。
そして今では社会福祉士の資格も取り、あのときの私と同じように八方ふさがりな結婚生活にぶち当たっている女性たちのサポートをする仕事に就きました。還暦を前に、縁あって真面目で優しい男性と再婚もできました。もう子どもも独立しているのでお金が必要なわけではありませんが、自分に与えられた使命だと思って今の仕事に打ち込んでいます。
お金の問題や浮気などで苦しむ女性に出会ったとき、私がいつもかけている言葉は「がんばれば逆転できるよ」ということ。私の辛い経験もきっと無駄ではなかったと信じているし、仕事を通して、だれかの役に立てればいいなと願っています。