女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。 一般社団法人「ねこと今日」の代表理事を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地でありその後も定期的に訪れるスウェーデンのこと(フィーカ:fikaはスウェーデン語でコーヒーブレイクのこと)などを写真と文章でつづります。
第21回は、不安の多い世の中で大切にしたい「物事の見極め方」について。

猫とフィーカ
すべての画像を見る(全5枚)

関連記事

56歳・川上麻衣子さん「うまくいかない日に思い出す」恩師と60代目前の決意

自分の「軸」をもって生きたい<川上麻衣子の猫とフィーカ>

更年期はすでに通り過ぎたと思うこの頃ですが、夜中に目が覚めて、ストーーンと、遠い場所に落とされたような、言いようのない不安感に襲われることが、あります。そんなときはろくなことを考えないので、諦めて明るくなるのを待ちながら、思春期の頃でも思い出すことにしています。

「女優を目指すなら、物事を裏から見る力がなかったらダメだ」

今から遡ること42年前。当時注目を集め始めていた先輩俳優から言われたこの一言は、当時の私に強烈な印象を与えました。

16歳の頃の川上麻衣子さん
デビューから2年後の16歳頃

80年代の芸能界に次々と現れる10代のアイドル的な存在に釘を刺すような、鋭く冷めた視線で見つめられ、「私は決して浮き足立っていません」と精一杯の気の強さで、反論したことを覚えています。今思えば5歳ほどしか歳の差のない関係でしたが、デビュー間もない15歳の私にとっては、20歳の先輩は手の届かない大人の世界を歩いていました。

この出会いがなければ、「女優」になろうなどという大層な目標を持つことなく、青春の記念にテレビに出ることができただけで十分満足なはずでした。元来の負けん気の強さと、このときの憧れに似た恋心のおかげで、テレビから映画へ。正統派から汚れ役、個性派を目指して十代を突き進んだことを懐かしく思い出します。

 

●独自の視点をもつことが難しい世の中

そして40年を経て改めて今、「物事を見極める視点」について考えています。

情報があふれ、スマホ一つあれば、ほとんどのことは検索可能。物事の評判さえ即座にわかり、正しいのか正しくないのかに分けられてしまう世の中。独自の視点で物事を判断し、行動に移すことは、とても難しいことになってしまったのかもしれません。

なんともつまらない時代ではありますが、そこに異を唱えて一石を投じる勇気がもてるかと問われれば、弱気な自分が顔を覗かせます。

●桂枝雀さんの言葉が胸に刺さる年齢に

先日、お世話になっている監督や映画仲間との席で、夢野久作原作『ドグラ・マグラ』という小説が話題となりました。

ドグラ・マグラ
私物の「ドグラ・マグラ」の文庫

この作品はじつに難解で、その扉には「日本探偵小説界の最高峰」「妖怪、妖麗、グロテスク、エロティシズムの極み」と記され「これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる」とまで書いてあります。昭和の匂いが存分に感じられる表現ではありますが、この小説にすっかりはまった20代半ばの私は、「ドグラ・マグラ」というタイトルで作詞をしてしまったほどのめりこんでいたようです。

作詞した文章
20代半ばにつくった「ドグラ・マグラ」をテーマにした歌詞

その後、落語家・桂枝雀さんが主演で映画化された同作品を観て、難解な世界を見事に映像化されていたことに心地よい衝撃を受けました。

集まりに参加されていた監督は、この作品について羨ましいことに、なんと枝雀さんご本人と話す機会があったそうですが、その際「映画を観てまったく理解ができなかった」と感想を述べたそうです。

その監督に対して枝雀さんは「そうなの? 僕にはとてもシンプルだったよ。時間軸をほんの少し、15度ほど傾けて物事を見ることができたら簡単なんだけどね」と仰ったそうです。

なんとも哲学的で洒落た表現。言葉の真意を果たして私が理解できているのかはわかりませんがなぜか、それこそ時空を超えて少しギスギスとした現代を生きる50代後半の私の心にスーッと入ってきました。