どうしても子どもがほしかった当時40代の漫画家・古泉智浩さん。600万円かけた不妊治療の後、夫婦で選んだのは“里子”と“養子”でした。ESSEonlineで連載中の子育て漫画エッセイ「特別特別養子縁組やってみた」が電子書籍化された古泉さんに、長男や長女と出会ったときのこと、引き取る経緯や特別養子縁組の難しさについてお話を伺いました。

うーちゃんが僕の子になって、4年が経ちました<古泉智浩の養子縁組やってみた1>

古泉智浩さんは、49歳の漫画家。思春期の男子をテーマにした数多くのマンガを世に送り出し着実にファンを増やしてきた一方…

一家
養子と里子を迎えてにぎやかになった古泉さん一家
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古泉智浩さんインタビュー。養子を迎えて「僕は人を愛したかった」と気づいた

現在53歳の漫画家・古泉智浩さん。古泉さん夫婦と母(おばあちゃん)、小2の長男・うーちゃん、4歳の長女・ぽん子ちゃんという家族5人で暮らしています。うーちゃんとぽん子ちゃんは里子から特別養子縁組しました。

 

ESSEonlineで連載中の子育て漫画エッセイ「特別特別養子縁組やってみた」が電子書籍化。それを記念して、古泉さんにじっくりインタビューしました。

古泉さん
仕事場でオンラインインタビューに答えていただいた古泉さん

 

●子どものいないことがとにかくつらかった

――古泉さんご夫婦が養子・里子を考えたきっかけを教えて下さい。

ずっと夫婦で不妊治療をしていて、5~6年くらい子どもができなかったんです。40歳のときにだいぶ年下の妻と結婚したのですが、このまま年を取っておじいさんになって、子どものいない人生になったら寂しい…となぜか強く思ったんです。

そんなときにテレビで、オーストラリアの夫婦が養子をほしいと来日されていたドキュメンタリーを見ました。それまでに何人も縁組していて、目が見えない子でも大歓迎と。宗教的な価値観、奉仕のような感覚があるご夫婦なのですが、何人子どもを迎えたとしても子育ての大変さは同じ。その苦労をいとわない気持ちがすごいなと思いました。そこで養子という道を考え始めました。

僕は子どものいないことがとにかくつらくて、不妊治療は妻の意見を100%受け入れてきたので、特別養子縁組に関しては僕が主導で進めました。

 

――なぜそこまでお子さんがほしかったのでしょうか?

じつは、僕には数回しか会ったことのない子どもがいるんです。10年以上たって、今の自分には成長を身近で見られる子どもがほしいけれどいない。2歳のときに会った子どもがとても懐かしかった。

お兄ちゃん(うーちゃん)がうちにきてから、ああやっぱりこれだったんだと思いました。僕は人を愛したかったんだと。

「愛」という言葉に縛られ過ぎなのかもしれませんが、僕は一人っ子で成長して、人に譲らずに生きてきました。自分本位で迷いもなく大きくなったので、不完全人間だとモヤモヤしていたんです。

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家に子どもがくることで、生活が100%子どもになりました。無私の精神というか、自分本位でいたくてもいられないのが、こんな僕でも人を愛することができたんだと救われた気持ちにつながったんです。