作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。東京と愛媛で二拠点生活をしている久美子さん。10年後のことを考えて決断したというその思いについてつづっていただきました。

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愛媛と東京での二拠点生活。作家であり農家でもあり続けたい<暮らしっく>

第64回「10年後の住処」

暮らしっく
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●私がしたかった生き方にようやく動き出せた

2021年、東京23区からの転出者が転入者を上回ったそうだ。これは、現在の集計方法になった2014年以降初めてのことだそう。コロナ禍でリモートワークのできる企業も増え、東京に住み続ける理由がなくなったんだろう。家賃が浮いた分広い家に住めるだろうし、なにより密にならなくていいという安心感もあるんじゃないかな。

電車でも飲食店でも、いつでもどこでも密が当たり前の都市の生活より、多少不便でもゆったり過ごしたいと思った人は多いだろう。過密し続けてきた都市の構造自体を見直す時代に入ったのではないか。

私もこの2年で、暮らし方や人生の進め方を改めて考え、前回書いたような二拠点生活を開始した。オーバーワークを見直して、田舎に移り農業をはじめた友人もいるし、私と同じように二拠点生活をはじめた友人もいる。動きが止まったことで、みんな先延ばしにしていた扉を開けたのかも。

愛媛のミカン畑
実家のミカン畑

10年後の自分はどこで何をしているだろう。50歳になった自分を想像してみる。一昨年までは、長野や山梨に住みたいと言っていたのに、今は愛媛と東京を行ったり来たりしている。地元の祖父の残してくれた農地でおいしいミカンを作っていたいと思った。今年新たに植える苗木は、私が50歳になった頃、最盛期を迎えるだろう。自然の大きな巡りの中に沿わせると10年なんてあっと言う間だ。そういう生き方をしてみたいなと、ある日ふと思ったのだった。その理由に行き着くまでにもけっこう時間がかかったし、腹をくくるまでも時間がかかった。

●コロナ禍で気づいた「場所」について

高橋久美子2014年春の写真
2014年、東京の春

18歳まで地元の愛媛で過ごし、大学で徳島に行き、24歳から15年間東京に住んできた。これまでは、大学に行くからとか音楽をするからとか移動に明確な理由があった。でも、今回は私を動かす理由がなかった。縁のある長野でも山梨でも良かったけれど、どうしてか動けなかった。それは、やはり愛媛が引っかかっていたからなんだろう。

15年も住めば気の許せる友達も東京の方が多い。身軽だし風通しのいい東京も好きだ。慣れ親しんだ街から完全に去るということは、いろいろと覚悟のいることだ。でも、近くに住んでいて「今度飲もうね」と言ったまま、3年も4年も会ってない友達もいっぱいいる。というか、コロナ禍になってからはほとんどそんな感じだ。重要なのは距離ではないんだろうとある日気づいた。