アメリカンケーキのお店「松之助」オーナーの平野顕子さん。70歳を過ぎた今もバイタリティ溢れる暮らしをしており、ファンを惹きつけています。平野さんは、45歳での離婚、留学、料理の仕事を始め、60代にしてニューヨークで再婚ライフを送っています。そんな平野さんが歩んできた道のり、そして人生観に密着します。

平野顕子さん
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平野顕子さん。70歳を過ぎても変化を楽しむサードライフ進行中

京都の能装束織物の織元の家に生まれた平野顕子さんは、箱入り娘としてのほほんと生きていました。20代前半に母親のすすめで北陸の歯科医のもとに嫁ぎ、30代は年子で産んだ娘と息子の子育て真っ最中。「目立たぬように」が嫁ぎ先からの申し渡しだったので、「とにかく地味に」を心がけて暮らしていたそうです。

 

●45歳で離婚後、アメリカ留学へ。セカンドライフがスタート

40歳を過ぎてからは、テニススクールに通ったり、中学校のPTA会長を引き受けたりと、少しずつ表の世界に出るようになりましたが、自分の意思で生きるとは程遠い人生でした。ここまでの時代が平野さんの「ファーストライフ」。

その後、45歳で離婚して、心機一転、学生時代の夢だったアメリカ留学へ。Tシャツとジーンズ姿で過ごした2年3か月という時間は、新しい経験の連続でした。セカンドライフのスタートです。

大学でのハードな勉強の合間に、帰国後の生活を見据えてアメリカンベーキングのレッスンを受けていた平野さんは、今まで感じたことのない壮絶な孤独も味わいました。

この孤独感は避けて通れないものでした。孤独と向き合うしか逃れる方法はないと感じ、自分はこの先どんなふうに生きていきたいのか、どんなときに喜びや悲しみを感じるのか、何を大切だと思っているのかと、埋もれている自分の軸の部分を掘り起こす、ときには苦痛を伴う地道な自問自答の作業を続けました。

「辛かったですよ、もがいてもがいてね。そしたら少しずつ自分のことがわかってきて。その頃からやっと自分の意思で歩み始められたような気がします」

 

●50代からはすべての情熱を仕事へ

日本に戻ってきた50代は、ひたすら前へ前へ。京都と東京にアップルパイとアメリカンベーキングの店舗とお菓子教室をもち、オーナーとしての経営と、先生としてのレッスンを休むことなく続けました。当時のファッションは、黒と白が基本。

アップルパイ
京都・高倉御池の「Cafe&Pantry松之助 本店」、東京・代官山の「MATSUNOSUKE N.Y.」は、アップルパイとアメリカンベーキングの専門店

60代前半は夢だったニューヨークでの店舗開業を具体化するため、拠点をアメリカに移し、すべての情熱を注ぎました。

「ベストを尽くしましたが、石の上にも3年という私のビジネスルールを曲げて、2年で閉店。高いレッスン料を払いました」

 

●65歳を過ぎて再婚。サードライフへ突入

そうして65歳を過ぎた頃、思いもよらぬ出会いに恵まれ、ウクライナ系アメリカ人と再婚しました! お肌にはシミもシワもたくさんあるけれど、華やいだピンクの色の洋服を着たり、再婚を機に始めた釣りやスキーに熱中したりと変化を楽しむサードライフが現在進行中です。

アメリカ人夫との結婚

つき合ってずいぶんと長い間、お互いの年齢を知りませんでした。あとからひと回り以上も年下と知ってびっくり!

「年齢はジャストナンバー。相性のほうが大事」と彼にいわれ、平野さんもまったく同感だったそうです。