「あれ、うちの子、なんかおかしい…?」
子どもを育てるなかで、そんな不安に襲われる瞬間があるかもしれません。ESSEでも活躍する料理研究家でフードコーディネーターのあまこようこさんも、そのひとりでした。

発達遅滞の診断を受け、感覚過敏の特徴をもつ、長男のそうりくんは現在11歳。子どもと食事を楽しみたいと思ってたものの、食べることに興味がない息子。だったら興味をもってくれるように、工夫すればいい。そんな思いから始まったのが、料理をとおしたコミュニケーションだったそうです。

メガネの女性
料理研究家、フードコーディネーターのあまこようこさん
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ここでは、発売されたばかりのレシピ&エッセイ集『

食べないっ子も、いただきます! うちのやさしいかいじゅう ごはんレシピ

』(東洋館出版社刊)より、そうりくんが0~2歳の頃のエピソードと、食べることが苦手な子どもも食べやすい朝食レシピを、一部抜粋してお送りします。

0歳で感じた、子どもの発達への不安。できることは全部やりたかった

食事をする子ども2人
ごはんをおいしそうに食べる、長男のそうりくん(右)と次男のかんりくん(左)

初めての子ども、初めての育児。なにが正解で、なにがダメなのかも分からなかったというあまこさん。子どもの異変を感じながらも、ただただ、育児、家事、仕事に追われる毎日。今回は、そうりくんが乳児時代のお話です。

●なんかおかしい?

おかしいと思ったのは、生後3、4か月頃。まったく首がすわる気配がない。抱っこしても反り返ることが多かった。オモチャを持たせようとしても握ってこない。

なにもかもが初めての育児。ママ友ともまだまだ交流がない乳児の時期は、同じ月齢の子と比べることもなかったし、病院からは、体がやわらかいから、なかなかすわらないのかな? とか、遅い子もいるからと言われていて、あまり気にすることはなかった。

でも、やっぱりどこかおかしいと思うようになってきた。1歳に近づいても、ひとり座りができなくてもちろん歩く気配なんてない。体がやわらかく不安定。健診で月齢が近いお友だちに会うと、その差は歴然。その子のお母さんたちからは、大丈夫だよと励まされるけど。

本当に大丈夫かな…。不安に襲われるのは、いつも夜中。育児本に書いてあることとぜんぜん違う。

●離乳食について思うこと

離乳食をあげたのは生後7か月頃。

この頃、ようやくちゃんと首がすわったので、ベビーチェアの出番はなく、バウンサーに乗せる感じでなんとか格好をととのええた。授乳のときとはうって変わって、順調だった。口に入れたら飲み込んでくれる。好き嫌いはない。食べた瞬間、体を少しゆらして喜んでくれる。もっとくれとは言わなくともその気持ちが伝わる食べっぷり。

ようやくわたしの出番だと思った。おいしいものをたくさんつくって、そうりに食べてもらいたい! そう強く思った。でも、離乳食が進むにつれてまた「なんか違う」感じがしてきた。

食べたいけど、食べられない、口が開かない。体がついてこない感じ。1歳を過ぎた頃からスプーンを持たせてみたけれどまったく握らない。何度も買い替え、夫が木を手彫りしてつくってもみたけど、どれも上手くいかず。噛みちぎる練習をしようにも、パンを手に持たない。テーブルや床が汚れるぐらい食べてくれると思っていたから、食事用のエプロンもいろいろ買ったのに、自分で食べる気配がないから、口の周り以外は汚れることもない。

食材を別々で食べさせたいけど、混ぜないと食べづらそう。混ぜるとなにを食べているかわからなくなる。それは料理のプロとしては、悲しいことなんだけど、いちばん大事なのは、ちゃんと食べてくれることだから。

●みんなとどこが違うの?

1歳半から保育園に行って、ようやくみんなと違うことが具体的にわかってきた。

送り迎えですれ違った、同じクラスの子の動き、先生がほかの子の親に話している、今日の様子、教室に張り出されている絵の中に1枚だけ、か弱く描かれたいびつな線。ひとりだけベビーカーに乗っているお散歩の写真。そんなことから「やっぱり違うな」の答え合わせをする毎日。

入園してまもなくの発表会のときだった。同じ年齢の子は木琴を叩いて音楽を楽しんでいた。そうりは、先生の手を借りて、その場に立つことが精一杯。この頃には、そうりが生まれた病院ですでに療育のアドバイスは受けていたけれど、このままでいいのかよくわからないでいた。だれかに相談したくて、ある日園長先生に話しかけた。

療育を始めたのは遅くはなかったのか、など思っていたけど、園長先生の「今でいい」という言葉がとても心強かった。療育については、早く始めた方がいいといろんな記事で見かけるが、タイミングはよくわからない。その子に合った年齢もあるのかなとも思ったし、不安に感じた今がいいのだと思えた。この園は2歳までの保育ルームなので、卒園のときに「次の保育園でもどんどん聞くのよ。聞きづらかったら私が言ってあげるから」と背中を押してくれた。