●閉塞感でいっぱいの学校という世界。今の子たちの居場所とは?

前日の打ち合わせ、ひんやりした体育館に入りあの閉塞感を思い出した。中学、高校時代の底冷えするあの息苦しさを。同じ服を着て同じ髪型で同じように前を向きながら、自分らしさが失われていくほどに私の中の炎は強くなった。
反抗し髪を金色に染めたり授業を抜け出し出ていく生徒たちのような自己主張が羨ましくもあったが、私は静かにクラリネットと詩に没頭した。テストのたびにおなかが痛くなって、保健室でテストを受けていた中学時代。
高校受験の頃になってそれはますます酷くなって自分はこの先どうなっていくんだろうという不安でいっぱいだった。学校だけが社会ではないと、人生はどうにでもなるんだと教えてくれる大人はいなかった。こんなところから抜け出して自由になりたい。好きなように生きるための方法を一体だれが教えてくれるんだろう。そう思っても右を見ても左を見ても山と海だけだった。

前で発表をする女性
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インターネットが当時あったなら、そのなかに私は自由を見つけていただろうか。不安を拭ってくれるコミュニティーと出会えていたかもしれない。けれど逆に、もんもんと詩を書き続けることはなかったのではないか。束縛され、逃げ場がないほどに私の表現欲は膨らんでいった。支えてくれる母や家族がいたから無事に学生時代を乗りきることができたのだけれど、そういう場所がない子たちを思うとやっぱりネットの中に埋没していく気持ちを否定できない。

自分を自由に解き放ってくれるもう一つの世界。じゃあ学校って何だろうか。23年たってもあの頃と同じようにみんなを同色で染める学校って何だろうか…少年式当日、23年前と同じように前を向いて静かに座る彼らを見て思った。いや大半がうつむいているな。寝ている子もいるなあ。心はここになくても、もう一つの世界の中に認めてくれる場所があるならそれはそれでいいのかもしれない。

彼らの表現の場はスマホの中に無限大に広がっているのだと思う。金髪の飢えた少年はもういなかった。寝てはいるがボイコットして出ていく子もいない。その代わり、なにか尋ねてもほとんど反応は返ってこない。そうか、もう彼らは自由を手に入れているのだと思った。

●大人になってよかったこと。それは自由になれたこと

海沿いのカフェで絵本の読み聞かせ
地元の海沿いのカフェで絵本の読み聞かせ。今はとても自由だ

大学生になってやっと私は、渇望したものを手に入れた。それは自由だった。表現だった。初めてメロディーに詩を乗せてライブハウスで披露した変な歌を今もときどき思い出す。

「大人になるっていいもんだよ。好きなように生きていいんだよ。私は、中学時代に諦めずにがんばった自分にありがとうって言いたいです。だから今の私があるもんねえ。それを今日思いました。今私は毎日とても楽しいです」

話せることがなにも見当たらずに、そんなことを言ってみたけれど届いているかはわからない。随分ときれいになった体育館で、ここから出発して今の自分があるんだなあと思った。

【高橋久美子さん】

1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て作家・作詞家として活動する。主な著書にエッセイ集

「いっぴき」

(ちくま文庫)、絵本

「赤い金魚と赤いとうがらし」

(ミルブックス)など。翻訳絵本

「おかあさんはね」

(マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。新刊の詩画集

「今夜 凶暴だから わたし」

(ちいさいミシマ社)が発売予定。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどさまざまなアーティストへの歌詞提供も多数。NHKラジオ第一放送「うたことば」のMCも。サイン入り詩画集の予約やトークイベントなどの情報は公式HP:

んふふのふ