わが子に対して、過剰に嫉妬したり、思いどおりに支配しようとしたりとする毒親。そんな母親との関係に悩む女性が、今、増えているようです。背景にあるのは「高齢化が進みパワフルな老人が増えていること」、そして「少子化の影響で、娘世代のきょうだいが減っていること」の2つ。娘が、いつまでたっても娘という存在から卒業しにくい時代なのかもしれません。編集部にも、自分を支配しようとする母親との関係に苦しむ女性たちの声が届いています。
すべての画像を見る(全3枚)勉強や友達などすべてに介入された私。母の支配欲が異常だと気づいたのは、大人になってからだった
毒親に苦しむ女性
●若宮尚美さん(仮名・50歳)
DATA
●家族構成…夫51歳
●実母の年齢…80歳
●美人でなんでもできる母に高い理想を押しつけられ、過干渉気味に育つ。そんな家がイヤで飛び出しても、母の支配から逃れられず、いつの間にか母と同じ発想をしている自分に気づく。婚約破棄を繰り返した末に結婚、離婚を経て再婚。母に思いをぶつけたことで関係改善の方向へ
母は地元でも評判の美人。スタイルもよく、頭脳明晰でスポーツも万能なスーパーウーマンです。そんな完璧な母にしてみれば、美しくもなく、スタイルは普通、成績はそこそこ、スポーツはイマイチという私は、残念な娘だったに違いありません。
高い理想を押しつけても、肝心の私がそれに応えられないのですから、さぞ育てがいがなかったことでしょう。母のことですから、家事も子育ても完璧にやりたかったはず。「どうしてあなたはそうなの?」という母の繰り返す言葉が、今でも聞こえてくるような気がします。私はこの言葉をぶつけられるたびに少しずつ傷ついていたようです。
母はできの悪い娘が心配でたまらなかったみたい。私のやることなすことすべてに口をはさんできました。勉強、習い事、友達選び。あれはダメ、こうしなさい、なぜ100点とれないの?どうして言うとおりにしないの?いちばん激しかったのは友達への干渉でした。「あの子と一緒に遊んじゃダメ」「あの子はぜひお家に連れていらっしゃい」。
母の価値観では、成績のよくない子、貧しい家の子、離婚家庭の子、親が水商売の子はNG。今どきそんなことを言ったら、大変なことになりますが、母は心底そういう子を、娘に近づけたくなかったのです。彼女なりの私への愛ゆえに。
歪んだ母の愛が、私から疑問や反発する力を奪っていきました
幼い頃はそんなものかと思っていましたが、高校受験の第1志望校に失敗したとき、ちょっとおかしいのではと思うようになりました。気持ちを切り替え、第2志望の高校へ行くつもりだった私に、母は中学浪人を勧め、こう言い放ったのです。「あんなレベルの低い高校へ入れるために、あなたを育てたわけじゃない」と。
大人になって振り返ると、本当にひどい話ですが、母の態度は一貫して「あなたのために」だったので、時折「あれ?」と思いつつも、とくに反抗することもなく、私は成長しました。
そういう母の愛は、娘である私から、疑問をもったり、反発したりする力を奪いました。なんとかすべり込んだ高校で、なんと私は最初の2年間友達を1人もつくりませんでした。母に指示されたわけではなく、自発的に。
理由は「こんなバカ学校で、バカな友達をつくってもメリットがない」と思ったから。これって、母の価値観そのままですよね。私がこんな自分に気づけたのは、結婚して母との距離をおけるようになってから。もしも今の夫と出会わなかったら、私は一生母の支配下にいたと思います。
本音を母にぶちまけたことで、なにかが少しだけ変わっていくかもしれません
夫とは再婚で、最初の結婚の前に、じつは3回も婚約破棄を繰り返しています。だれを連れて行っても母が気に入らない。あんまり反対されると、私も面倒くさくなってしまって。
母は結婚してほしくなかったのでしょう。「ひとりで生きていけるように教育したのにどうして?」と真顔で言われました。母自身が、本当は働く人生を選びたかったのかもしれません。
再婚してからの母とのすったもんだは思い出したくもありません。「あんなに親思いの娘がこんなふうになったのはあの男のせいよ」と夫が散々悪者にされました。矢面に立ち、耐えてくれた夫のおかげで、今があるといえるでしょうね。
以前は母に電話をするたびにケンカになっていましたが、じつは酔った勢いで、これまでの恨みつらみを母にぶちまけてしまったことがあって。感ずるところがあったのかわかりませんが、以来母の態度が少しだけ変わったような気がしています。
母娘といえど、わかり合えて当然と思い込まず、母娘だからこそ本音をきちんと言葉で伝えることが大切なのかもしれません。