観葉植物の並んだベンチ
写真はイメージです

観葉植物が好きだ。緑が少しあるだけで、閉鎖的な空間にさわやかな風が舞い込む。マイナスイオンなどはよくわからないが、本物そっくりのフェイクグリーンを置いてもこの弾けるようなみずみずしい空気は感じられないから、きっと目に見えない、生きた植物にしかない力があるのだろう。

なので、我が家は至るところに観葉植物を置いている。台所の窓際にはポトスを、流し台の横のグラスにはポトスを、居間の飾り棚にはポトスを、玄関にはポトスを。

そう、ポトス以外全滅である。

なにかに呪われているのかと思うほど、うちではことごとく植物が枯れていく。先輩から新居祝いにいただいたガジュマル、「ほっといても勝手に育つよ」と花屋さんに太鼓判を押されたサンスベリア、、100円均一で買ったエアプランツ、実家から持ってきたアイビー、子どもと食べようと思ったナスや豆苗、撮影用のミントやイタリアンパセリ…。  

青々と揺れていた葉も、うちでほんの数日過ごすだけでグングン生気を失う。

「基本的に水をあげなくてもいいけど、ときどきあげてね」。この加減が本当にわからない。つかず離れずのかけ引きが難しすぎる。ポトスだけは水に差すだけの放置プレイなので大丈夫だが(それでさえ、放置し過ぎてふと見ると水が残り数ミリまで減って虫の息になってるのをよく見かける)、少しでも私と土が関わるとアウトなのだ。

あるライターさんに、植物が枯れるのは家の邪気を吸ってくれている、だからいいことなんですよ、と教えてもらった。良かった…いやどんだけ邪気にまみれた家やねん。吸っても吸っても追いつかず、新入りが来たらあっという間に倒れるほどの邪気の中で生活してる私とポトスの鈍感さよ。

植物がかわいそうでポトス以外は基本、フェイクグリーンで我慢しているのだが、先日、エッセイ本担当の編集者さんから、大きな荷物が届いた。品名をみると「花」と書いてある。お花が届くなんてすごく嬉しい反面、プレゼントなのに枯らしてしまう…とフライング罪悪感が生まれた。

箱をあけると、くすんだ青や紫、緑がパッと目に飛び込んできた。思わず声が出るほど綺麗だ。そっと取り出すと、アジサイを中心に、さまざまな花や葉がセンス良く束ねられている。あまりの美しさに早速御礼を伝えると「スワッグです」と返事がきた。「スワッグ!!ありがとうございます!!」スワッグって何ーー!? 

調べてみると、壁などに吊るして飾る花束らしい。そしてこのスワッグは、そのままドライフラワーになるそうだ。感激した。枯らしてもいい、それだけでこんなに気が楽になるなんて。

花束の中に私がいつもいいなあと思っていた葉っぱがあり、それがなにか聞いてみると、「ユーカリです。ほったらかしでも育つのでおすすめ」と返事があった。いやいや、その言葉に何度裏切られてきたことか。この家の邪気舐めたあきまへんで。

半信半疑で2本切り、1本は水に、もう1本は土に挿して様子を見てみることにした。驚くことに、翌日には2本ともカッサカサになった。様子を見てみるもなにも、速攻ドライフラワーである。このユーカリも邪気を吸ってくれたのだと信じたい。

※この記事は『ひたひたまで注いでコトコト煮詰めた話』書店配布特典のエッセイです