都会と地方を行き来する「二拠点生活」が近年話題になっています。愛媛と東京での暮らしを続ける作家・作詞家の高橋久美子さんは、年越しを愛媛で過ごしたそう。そんな高橋さんが正月明けから、東京から移住する友人の家探しをしています。そこで感じたことをつづってもらいました。
すべての画像を見る(全4枚)愛媛で過ごしたお正月
あけましておめでとうございます。今年も生活のささやかな発見や疑問を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
今年の年末年始は長い人だと9連休だったとかで、どうですか? そろそろ元の生活に戻れたかな。私は愛媛と東京の二拠点生活をしていて、正月は愛媛の実家で過ごした。正月になると田舎の人口が一気に増える。実家周辺を歩いていても、
「おお、◯△さんち高松ナンバーの車停まっとるな。息子帰ってきたんかな」
「こっちは大阪ナンバー…あら、どうもー、お久しぶりです〜」
あっちの家もこっちの家もにぎわって、いいですねえ。
そうして、あっというまに波が引いて、またガランとした田舎になる。
帰りの飛行機の中、実家に帰っていたと思われる人々と乗り合わせる。やれやれ、ひと仕事終えたぞという雰囲気が漂っていて、おつかれさまでしたという気持ちになる。家族や親戚に会うのは楽しさ反面、疲れたりもしますからね。
実家にいると、親との関係が悩ましい
自分の実家やパートナーの実家に帰るのが楽しみ! という人だけではないだろう。私は二拠点生活をしているので、一か月おきに愛媛に帰っているけど、やっぱり両方の気持ちがあるもんな。
私がなにをやっても目くじらを立てる父が家の王様なので、畑をするという目的はあっても、行きの飛行機はいつも少しブルーだ。実家は11部屋あるとはいえ、同じ食卓で毎日顔を合わせるしんどさは否めない。食卓ではいつも父のつけたテレビの音を聞いていないといけないし、どんなに疲れてミカン畑から帰ってきても母と私は食事の準備をしなくてはいけない。田んぼしかしていない父は冬場はずっと家にいるのだから食事の準備をして欲しいけど、私は言葉を飲み込む。これをもう50年近く許してきた母のするようにしなくては家族は崩壊するのだろう。
今の私は父からすると「いそうろう」である。私が帰ってくると、母を取られたような気持ちになるのだろう。東京からの友達もやってきて泊まることもあるし、そういうのも嫌なんだろうなあ。父から「母と二人で暮らしたい」と言われた。父は自分の生活の波を壊されたくないのだろう。黙って言うことを聞いてくれる母が好きなのだ。ちなみに母は、私と一緒の生活が楽しいし、私の友人が来てくれるのが人生の張り合いになっていると言うので、これまた複雑な三角関係ですよね。うーむ。