40代、50代になると、子どもが産まれたり、成長したり、また親の介護に悩んだりなど、自分の意思とは異なることで暮らし方を変えないとならない場面も。ESSEフレンズエディターのハギヤマジュンコさんは7年前に会社を辞め、フリーランスとして活動していましたが、45歳の今、改めて外で働くことを決断したそう。その理由を語ります。
すべての画像を見る(全4枚)「小学1年生の壁」を感じて選んだフリーランスの道
7年前の話になりますが、娘が年長に上がる2か月ほど前、私は10年以上勤めた会社を辞めてフリーランスになりました。
大きな決め手のひとつは、「小学1年生の壁」。
「早朝保育」があるこども園では、出勤時間が早い私に合わせて娘を預かってもらうことができていました。しかし小学校進学後は、私が家を出た後に娘が鍵をかけて登校しないといけないのだという現実に気づき、それは私の中でどうしても想像ができなかったのです。
ただし、それをいちばんの理由にして仕事を辞める選択をしたつもりはありませんでした。決め手でありきっかけのひとつだったことに間違いはありませんが、もう1つ大きな要因があります。
それは、整理収納アドバイザーという資格を取ったこと。
育休明けの復職後にSNSを使った発信を始め、ダブルワークを軌道に乗せ、副職を本業にしたい! もっと自由に働きたい! という思いが募ったタイミングと、娘の進学がうまい具合に重なったのです。
自分で選んだフリーランスの道と現状
SNSでの発信や、雑誌の取材、書籍の出版など、私の7年間は一見順風満帆に見えるかもしれません。ですが、1人で仕事をつくり、仕事をするということはなかなか過酷です。
自分が今やっていることが正解なのかはわからないし、だれからも評価されにくい。やっていることが将来につながっているかどうか不安ななか、手探りで進んでいる状態でした。
とくにSNSは数字が顕著に出るため、人と比べて落ち込むことも多くありました。自称HSPの私にとって、人とまったく会わず1人で淡々とするおうちでの仕事は天国のようでもあり、地獄のようでもあったのです。