ものと向き合うことは、自分と向き合うこと

asakoさんのクローゼット
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瞑想を習慣にして以来、もの心両面で持ちすぎないことに目が向くようになりました。では、今まで持ちすぎていたものをどう手放すか、ですが、いろいろ考えた結果、「今の自分にとっての心地よさ」を取捨選択の判断基準にすることにしました。

思い出があるからとか、まだ使えるからなど、いくらでも理由をつけて置いておくことはできます。でも、今それを使って、自分は満足できるのかというとそうではありません。むしろ、そのものに占拠されているスペースや自分のこころが、もったいないのですよね。そのことに気づいてからは、「ありがとう」と、お別れすることにしています。

たとえば、お気に入りだけど、もうヨレヨレのカーディガン。「これを着たときに心地いいかな?」と自分に問うと、気分は上がらないんですよね。これはもう、さよならしていいもの。器も状態はいいけれど、ほぼ使わないものが食器棚の中であふれ、幅をきかせていました。これも、さよならしていいもの。

手放すときにこころが痛みますが、この痛みが、「むやみに欲しがるこころ」の抑止力になるのではないかと思います。また、こうやってひとつひとつのものに向き合っていると、自分が今、何を大切にしているのかがクリアになっていくのですよね。取捨選択というのは「残すもの」、つまり「大切にしたいもの」を選び取る行為でもあるから。これは、ものに限らず、できごとや人づき合い、仕事の面でも言えること。

asakoさんの仕事スペース

積み重ねるのが人生だから、手にすることはすんなり受け入れてしまうけど、手放すことには躊躇してしまう。でも、収納スペースに限界があるように、人の器にも限界があります。しかも、器の大きさは人それぞれ。得たものが、誰かと比べて多い、少ないではなく、今の自分にとって心地いいか、どうかが肝心だと思うのです。

今、住んでいる空間、家族構成、生活パターンにいくら愛着があったとしても、いつかは変化するときがきます。その愛着に固執するとしんどくなる一方ですが、人は「今」を生きるもの。悲観しなくても、そのときに大事なことがきっと目の前にあるはずなのです。いつだって今、今、今の連続だから。

実際、これまでにたくさんのもの、ことを手放してきましたが、ほとんど思い出せません…。今に必要のないものは、持っていなくても大丈夫ってことです!

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