アメリカでは夏、子どもたちが自宅の庭先などでレモネードを売る光景がお馴染みです。2000年、小児がん治療中の4歳の女の子がレモネードスタンドを開き、集まったお金を自分や同じ病気の友だちのために病院へ寄付しました。それがきっかけとなり、世界中でレモネードスタンドを開いて小児がん患者とその家族、研究支援のために寄付金を集めるようになりました。26歳で希少がんの「悪性ラブドイド腫瘍」と診断された福田莉子さんは、2023年に初めてレモネードスタンドを開催。なぜレモネードスタンド活動を始めたのか、そこに至るまでのことを伺いました。(記事監修:川崎市立井田病院 腫瘍内科部長・一般社団法人プラスケア代表理事・西智弘先生)

母とランチ
定期検査の結果を聞きに外来受診した後、ランチをする福田さん
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幸せの「まさか」。ジムで彼氏ができて、妊娠

爪
最後の抗がん剤から3か月、やっと爪が半分きれいになってきた

莉子さんは、今年の10月に抗がん剤治療を終えて5年目を迎えます。がん患者は「5年生存率」「10年生存率」という重い言葉を意識せざるを得なくなるのですが、5年をなんとか生き抜いた、大きな節目になります。

「失ったものもあるし、常に『来年はここにいないかも』と考えながら、幸せになりたい思いはありました。だから『それなりに幸せに、絶対になろう』を自分の合い言葉にして、病気に向き合い、5年間、前向きな患者をやってきました」。

治療を終えてからの5年間、莉子さんは人生の怒濤の大変化を経験することに。恋人ができておつき合いするうちに、抗がん剤の副作用によって無理だろうと言われていた自然妊娠が発覚したのです。

「治療後、健康になろうとジム通いを始めました。筋トレが趣味になり、その縁で知り合った人とおつき合いしたんです。彼は結婚願望があまりなく、私からも妊娠・出産はできないかもと最初から伝えていて、お互いに結婚を前提にしたおつき合いではなかったんです。不妊治療が必要になると言われていたのに、28歳のときに自然妊娠がわかって本当に驚きました」

今、産まないわけにいかないだろうという気持ちに

過酷な治療を終えて、体力と気力を取り戻した矢先の妊娠に、莉子さんは戸惑ったと言います。

「産むか産まないか、結婚するかしないか、すごく悩みました。がんと診断されたとき、当時おつき合いをしていた彼氏と音信不通になったショックが大きかったので、今の彼を失ったら次にまた恋愛できるかどうかわからない。もし、ここで産まない選択をしたら、次に赤ちゃんを授かることはできないかもしれないと思ったら、産まないわけにいかないだろうという気持ちになりました」。

妊娠がわかってから2か月後に結婚した2人。心配する莉子さんの母親を説得してくれたパートナーは、莉子さんよりもずっと前向きな人なのだそうです。

「私も基本的に前向きですけれど、結婚など他人を巻き込むとなったら、どうしようって思っちゃうんです。相手の人生がかかっていますから。でも、彼は『今、元気じゃん?』って、あっけらかんと言ったんです。今も明日はCT検査だから不安だと言うと、『でも元気そうだよ』と私より前向きな感じで接してくれるので、本当にこの人と結婚してよかったと思っています」