2024年1月1日に能登半島地震が発生しました。今回は、カウンセラー・エッセイストの若松美穂さんが、2011年3月11日、東日本大震災で両親が被災した際の人間関係についてつづります。
すべての画像を見る(全4枚)家族や親類間で、意見の食い違いや責め合いが起きた
この度、能登半島地震の被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。今回は人間関係について。過去、東日本大震災で両親が被災した際の、個人的な経験談です。
宮城県の沿岸部に住む両親が被災し、家と仕事を失いました。震災直後は無事を喜んだのですが、そこから暮らしを立て直していく数年は、それまでとは異なる雰囲気が生まれました。
家族や親類間で、意見の食い違いが起こり、困ったりつらくなったり、責め合うような機会があちこちで増えました。それを目の当たりにし、聞くことも、根気のいる作業で、なかなかハードな暮らしでした。
現地でさまざまな方にお話を伺った際にも、夫婦間・親子間でのもめごとや戸惑い、憤りについて聞くことが多かったのです。
ただ、Aさんのお話を伺うとBさんの選択は「あり得ない」と感じても、Bさんの視点でお話を伺うと、まったく違うように見えるもので、立場や状況が異なるとどちらも間違ってはいない。「ただただかみ合わない状況が続いている」のを感じました。
大変なときこそ家族で助け合うことは理想ではありますが、そう簡単にうまくいくものではないのだなと思いました。
家族や親戚間でも、求めるものが異なる
なぜなら、家族や親戚間でも、求めるものが皆異なるのです。たとえば
・どこでどう暮らすのか(気持ちや状況は変化していきます)
・大事にしたいもの(地域・家族・仕事・未来・安心・安全・安定・お金・人間関係・健康など)
・スピード感
・人と関わりたい人、1人でいたい人
・話したい人、話したくない人
・店の再建
・助けて欲しい人、助けを必要としない人、逆に助ける立場になりたい人
どれも正しいはないから難しい。お互いを思い合って行動や会話をしても、伝わらないもどかしさがありました。
もし今、「こんなに大変なときに、自分の家族だけが意見をぶつけ合い、もめているのだろうか」。そう思う方がいらしたとしたら、そうではないのだとお伝えしたいと思います。大変な状況や、心が平穏でいられない環境では、どの人も、自分視点で物事を考えることがあるでしょう。
「あのときには、どの人も大変だったのよ。仕方がなかったのよね」と。何年も経ってから言われた、親類のひと言に深くうなずきました。
いつもなら、周りのことを考えたり、想像を巡らしたりができたとしても、非常時では、なかなかそうはいきません。
いつもなら、「そうね」と聞けたひと言が、仕方がないと流せたひと言が、状況が状況だけに傷ついたり、腹が立ったり、分かってくれていないような気がする、受け入れられないということがあるのです。