親子関係こそ相手への「期待」を手放すことでラクに
これをやってあげたら喜んでくれるだろう、というのは相手に対する期待でしかありません。こちらがよかれと思ってしたことを、まるで当然のように扱われてしまうと自分の存在価値が低く感じてしまいます。
とくに親子関係では「期待」することが、思わぬ影響を及ぼすと実感しています。
●母を喜ばせたくて尽くしてきたことが思わぬ結果に
すべての画像を見る(全4枚)私は、高校生くらいから、母親になんとか喜んでほしくてアルバイトで貯めたお金で服をプレゼントしたり、喫茶店で延々と愚痴を聞いてあげたりいろいろとしてきました。初めは喜んでくれたのですが、いつかしかそれが当たり前になってしまいます。「長女なんだからして当たり前」「それくらいできるでしょう」と、こちらが期待に応えるほど、段々とハードルがあがっていき、一時が万事…そうなります。
忘れもしないのが、父の還暦祝いで夫婦旅行をプレゼントすると「お父さんと2人で行ってなにがおもしろいのよ!」と怒鳴られてしまったことです。これには本当に悲しくて、心が傷つきました。私たち世代はまだまだ親の介護は子どもがするものだという概念があります。
なかには自分を犠牲にしてまで介護に奔走しているのに「ありがとう」の一言すらもらえない人だって少なくありません。「ここまでやっているのにどうして…」と悲しい気持ちや腹立たしい気持ちになるのは当然だと思います。
●相手には「期待しない」と決めることでラクに
これも、相手に対する「期待」から生じる感情です。なにをやっても感謝の言葉すら返ってこない、ややもすると不満が返ってくるような相手には「期待しない」と決めることがいちばん。私は、母への期待を一切手放したおかげですごくラクな気持ちになれました。
その代わりに母を連れて旅行や母の日のプレゼントを「してあげられた自分」に喜びを感じるようにしたのです。すると幸福度は自然に上がります。
親子関係に限らずモヤモヤしたりイライラしたりすると、「そうだ! 相手には期待しないんだった」と思い直せば、相手を悪く思う気待ちも和らぎますし、なにより自分を整えられるのです。
息子に対しては「私も好きにするから、あなたも好きにしてね」で良好な関係性を築いていけるでしょう。いつまでもあると思うな親と金。父の座右の銘が心に響きます。