●秘訣2:脳の中の「○○すべき」を呑み込もう

テニスをする女性
すべての画像を見る(全2枚)

60過ぎたら、脳に浮かぶ、あらゆる「○○すべき」を、呑み込むべきだ。「勉強すべき」「一度やると決めたことは、やり抜くべき」「結婚すべき」「子どもを持つべき」「勤勉であるべき」などなど。

ちなみに、「一度やると決めたことは、やり抜くべき」は、日本人の親や祖父母が、子どもによく言うことだけど、これ、じつは、脳科学的には一部NGである。スポーツや芸術の習い事については、子どもたちは、自分の才能に出合うために、いろんなことに挑戦してほしい。

12歳までに出合うことが重要なので、どうしても時間がたりない。なので、「どうにも気持ちよくない」と思ったことは、止めていいのである。

ただし、学校の勉強は、いやでも続けたほうがいい。数学なんて、役に立つの? と思うだろうけど、これは、「認識回路のバリエーション」をつくっている。微分積分なんて学校を出たら、多くの人は一生使わないが、これらをちゃんと理解すると、脳の中に、情報を整理するための秀逸な枠組みをつくってくれる。

ものごとの「エッジライン」だけを見る演算=微分と、ものごとの「存在感」をつかむ演算=積分。意識しなくても、脳の中に変化が起こっている。世界の国々で、長らく子どもたちの育ちに必要不可欠だと思われてきた教科は、やっぱり大事なのである。

●秘訣3:60代は、誰でもコンサルタント。人の相談に積極的に乗ろう

私は、63歳以上のさまざまな人たちが、自分の得意領域を語るサロンがあったらいいのにな、と思う。

営業職で生きてきた人は営業の極意を、編み物が得意な人は編み物の極意を語るのである。仕事とか家事とか趣味とかにジャンル分けせずに、男女の垣根もなく。きっと、どの話にも、その道の本質が見え、人生の神髄が見え、この世の真理が見えてくるはずだ。そして、若い人の相談に、皆で乗るのである。営業の達人も、編み物の達人も、一緒に恋の相談に乗ったりしてね。楽しそうじゃない? 

孔子は、五十にして天命を知る、六十に耳順(したが)う、と言った。

耳順う、とは、人の言うことに耳を傾けることができる、という意味合いだそうだが、さもありなん。六十を過ぎると、目の前の若者がなにかわけのわからないことをまくし立てても、その若者の本質をがつんと腹でつかんでやれるから、そのことばの真実を聞いてやれるのだろう。

これは、孔子だけに起こることじゃない。

56歳になれば、だれもがなにかの達人になって、とっさの勘が働くようになる。その土俵で、人生を語れるようになるのである。

そして、63歳にもなれば、自分とはまったく別の道を行く若者にも、一筋の光になる
答えをあげられる。

60歳のトリセツ (扶桑社新書)

60歳のトリセツ (扶桑社新書)

Amazonで見る