人生100年時代、働き方も多様化し、いくつになっても挑戦できる時代になりました。そんな中、注目されているのが、ミナペルホネンが運営する「call」というお店で洋服の販売員として働いている小畑滋子さん(85歳)。じつは、働き始めたのが79歳の頃だと言います。そんな小畑さんが求人と出合い、働き始めるまでのことを紹介します。
夫亡き後の就職活動。求人を見て心が動かされ…
小畑滋子さんの著書『85歳、「好きなこと」を続けるごきげん暮らし』(大和書房刊)から、抜粋にて紹介します。
●心が健康で100歳!大歓迎
79歳で夫を亡くしました。
20代の初めに結婚し、50年以上も連れ添ってきましたから、やはりショックは大きいものでした。しばらく、心が空洞でした。そんなとき「つるとはな」(株式会社つるとはな)という雑誌で「call」の求人広告に出会ったのです。
「つるとはな」は、小さな出版社が出している「年上の先輩の話を聞く小さな場所」をコンセプトにした雑誌です。大好きで毎号、隅から隅まで読んでいました。そうしたら、第3号の折込みのページに「年齢は問いません。人生経験豊富な方、心が健康で100歳! 大歓迎です」と「call」の求人広告が!
え? 100歳でもいいの? 驚きました。
それまで、とくに働くことは考えていませんでした。子どもたちが小学校に通うようになってから、カルチャースクールの洋裁教室の講師を務めていたこともありますが、基本的には主婦として生きてきました。夫も勤めていましたから、経済的な心配はしたことがありませんでした。
でも、なぜかこの求人広告には心を動かされました。
ミナ ペルホネンのこと、じつはずっと知らなかったのです。求人広告を目にするちょっと前に、皆川明さんと松浦弥太郎さんの対談本『ミナを着て旅に出よう』(文春文庫刊)を図書館で借りて読んで知りました。それで、ちょうどミナ ペルホネンに興味をもっていた時期だったのです。
●初めて書いた履歴書
いま考えても、あのときの自分の行動力には感心してしまいます。
文房具店で、生まれて初めて履歴書を買いました。履歴書なんて書いたこともなかったので書き方にも迷いましたが、とにかく一生懸命書きました。なにを考えていて、いまどういうふうに生きているか、というようなことです。
そうしたら、「call」から面接の連絡がありました。
面接の日は、お店がある東京・青山のスパイラルビルに少し早めに着いたので、1階のカフェでコーヒーを飲みました。ああ、おいしいと思ったの。でも、遅刻したらいけないと思って、半分くらい残して9階に上がりました。
何十年ぶりかの面接でしたが、とくに緊張はしませんでした。なにを質問されても、ありのままを素直に答えました。年だけは重ねていますから、無理に自分を大きく見せるつもりはないし、こんな私でよければ、と自然体で挑みました。
何週間かして、お手紙をいただいて、あら合格したんだわ、と。どこを気に入っ
ていただいたのか…。そこから勤め始めています。
小畑滋子さんの今できることを大いにつづった『85歳、「好きなこと」を続けるごきげん暮らし』(大和書房刊)は発売中。
85歳、「好きなこと」を続けるごきげん暮らし