女性、とくに母親は、責任感ゆえについついがんばりすぎてしまうことがありませんか? 「よい母」でいるため、がんばりすぎてしまった過去を告白してくれたのは、ブロガーで収納アドバイザーの原田さよさん。原田さんの最新刊『50代はやめどき、捨てどき、楽しみどき』(扶桑社刊)では、よい母でいることを卒業した理由について語っています。

関連記事

58歳で資格を取った理由。「孫がいるのは自分だけ」でもやってよかった
悩む女性
無理をしてまでよい母でいなくていいと気づいて…(※写真はイメージです)
すべての画像を見る(全3枚)

50代、「よい母」でいることをやめた理由

「よい母」と聞いたら、どんなことを思い浮かべますか。いつも笑顔で穏やか、ガミガミ怒らない、子どもとしっかり向き合っている、家事を完璧にこなしている…などでしょうか。私も長く、よい母でありたいと思っていました。とくに娘に対しては。というのも、育てるのが難しい息子がいたため、娘に寂しい思いをさせるのでは…と心配したからです。これは娘が成長してからもずっとでした。

●体調を崩した時、娘の言葉を思い出して…

昨年の夏、娘のところに2人目の子ども(私にとっては孫ですね)が生まれました。産後はひと月ほどわが家で娘と孫2人をあずかり、帰ってからは今度は私が娘の元に通い、上の孫の幼稚園のお迎えを買って出ることに。少しでも娘の回復の手助けになればと、張りきっていたのです。
そんなある朝、熱もないのにどうしてもつらくてベッドから起き上がれませんでした。「娘のところに行かなくては。孫を迎えに行かねば」と思っているのに。そのときふと、娘からの手紙を思い出しました。

手紙
※写真はイメージです

それは5年前、結婚披露宴でもらった手紙です。そこには、私たち夫婦への感謝の言葉のあとにこう書いてありました。
「これからはどうか、お母さん自身のために生きてほしいです」
とても嬉しいと同時に、少しだけ複雑な気持ちになりました。私は十分好きなことをして、自分のために生きているつもりだったのに、娘に心配をかけていたのかもしれないと。
そう気づいて、横になったままLINEを送りました。「ごめん、今日は行けそうにない」と。よい母でありたい、娘に寂しい思いをさせてきた分をここで取り戻したい、この思いでがんばりすぎているとわかったからです。「了解! お大事にね。こっちはなんとかするから大丈夫よ」と娘からはすぐ返事が。その日の様子も、あとで報告してくれました。