●時代と共に変化したご近所さんとの交流

畑以外の人との唯一の交流の場となるのが、移動販売のトラックが集会所にやってくる週に2回だ。ここに集うのもやはり70代以上ということで、私はやっぱりかなり浮いた存在なのだ。そこでも立ち話になることは少なく、挨拶と世間話くらいでみんな帰っていく。25年前、私が子どもだった時代には近所のいたるところで井戸端会議されていたし、近所のじいさんばあさんが、毎日のように家に上がり込んでいた。けれど、もうそういうのもなくなった。新型コロナウイルスだけが原因というわけではなくて、やはりプライベートの空間や時間を気にするようになったし、互いに遠慮しあっているところはあるのかもなあ。まあ、そういう変化は良い面も悪い面もあると思う。

お弁当食べる図
サトウキビの製糖、みんなでお弁当を食べる
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田舎の最近の変化として思うことは、ご近所さんというコミュニティーよりも、同じ志の人同士で集う方が多くなっているということだ。ある程度のご近所付き合いはあるけれども、祖父母の時代のように大親友が近所の人々という感じではなくなっているんじゃないだろうか。母の世代でもそんな感じかもなあ。隣町から来て、一緒に畑をしている仲間たちとは土日によく会う。畑でそれぞれにとれたものを交換しあったり、一緒に昼ごはんを食べたり。

サトウキビの収穫
子どもも大人も一緒にサトウキビの収穫

インターネットや交通手段のなかった時代は、近所の人たちとのつながりが、自分のライフラインを守る上でも重要だったんじゃないだろうか。ゆえに、じっとりした閉塞感もあったと思う。けれど、今はSNSや交通機関の発達で、気の合う同士で会うことが可能になった。無理して気の合わない人と交流しなくても良くなったのだ。

そのことで気楽になった部分もたくさんあるし、失われていった伝統や文化もあるのだと思う。どっちが良かったのか? どちらも知っている私としては、どっちもどっちだと思う。だから、可能な限り異世代の人とも交流し、学びたいと思っている。子供時代、面白い人も意地悪な人もいたけれど、全部ひっくるめて人間ってものを知った気がする。いい人ばかりでもないけど、怖そうと思っていた人が案外優しかったりもした。祖父母を筆頭に、いろんな時代の片鱗をかじれたことは私にとって財産だなと思う。

 

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