『ドラえもん』のスネ夫役をはじめ、『鬼滅の刃』の不死川実弥役や『呪術廻戦』のパンダ役など、話題作に多数出演している人気声優・関智一さんの暮らしのエッセイ。8月15日に新型コロナウイルスに感染したことを発表した関さんですが、療養期間で考えたこと・気づいたことがあったそうです。そこで、第2回目は関さんの「療養期間の日々」ついてつづってもらいました。
関智一、新型コロナに罹患してしまいました
すべての画像を見る(全7枚)まぁ、この文章を書いている今は、十日間の自宅療養を間もなく終えるタイミングなわけですが、なかなか“シンドい”十日間ではありました。ただ症状的にはあまり重くならずすんだので神様と免疫に大感謝です。
●申し訳なさを感じつつ、まずはしっかり療養!
では、なにがシンドかったかと言いますと、「十日間、一歩も外に出られない…!」。罹患されたほぼすべての皆さんが同じ思いだと思いますが、やはりコレに尽きます。
療養が決まってすぐは、十日も連続してお休みを頂く機会はなかなかないから、有難く体を休めることにしようと、仕事に穴をあけてしまった申し訳なさを強引に切り替えて休み始めました。
風通しをよくした自室のベッドで日がな一日ゴロゴロ、なんなら気分よく過ごしてしておりましたが、程なく体調が回復してくると、気力も同時に回復し始め、この機会に普段観れなかったものを観、やれなかったことをやろうとベッドから這い出すわけです。
以前購入していた水彩画のセットを引っぱり出して窓から見える風景を写生してみたり、映画『クレヨンしんちゃん』を一気見してみたり、一本歯の下駄を履いてベランダで体幹を鍛えてみたり、許される範囲で色々挑戦して数日過ごすも…しかしなにかものたりない!
●療養中に感じた違和感とは?
えも言われぬ「孤独感」。噂には聞いていた、「心が病んでくるよ」と。ただ自分は比較的ポジティブなタイプ。正直あまりピンと来ていなかったのですが…なるほど。だれとも会えず関われず、しかし世の中は変わらず動いている…。なんだか一人だけ取り残されたかのような感覚。
そういえば金八先生も言っていたっけ、「人という字は人と人とが支えあって立っている」と(実際には横向きに立っている人を象った象形文字)。その“支え”が感じられずに不安定になっているのかもしれない、そんな風に思ったわけです。
そんな風に思ったので、ゴロゴロしながら、そもそもなんで「人間」と言うんだろうと考えを巡らせてみました。調べると、仏教語が語源のようで、仏教語で言うところの「人間」とは「世の中」「世間」「人の世」を意味した言葉であるらしく、「人間」に「人」そのものの意味が加わったのは江戸時代以降のことなんだそう。
「社会にある人」を指しての「人間」。人の間、間とはスペース…「人間」とは人と人との間合いとも読めるのか。前になにかで読んだが、日本人にとって世間、他人との関わりが自分自身のことよりも大事であり関心事であるのだとか。
なるほど、他人があるからこそ自分が如何なるものか見えてくる訳で、なにを今更とも思うが改めて腑に落ちた。つまり、コロナで一人療養している自分は人であっても人間にあらずと言えなくもない。