19歳という若さでオリンピック金メダリストとなったフィギュアスケーター、羽生結弦選手。昨シーズンは、史上初の300点超えを果たすなど、前人未到の記録を次々と打ち立ててきました。そんな順風満帆に見える羽生選手ですが、その裏では、度重なるケガや病気など、思いがけない困難があったそう。
記録を更新し続ける“王者”としての自分と、“一人の青年”としての自分。7月2日の発売後、続々反響を呼んでいる自叙伝『
』では、乗り越えてきた困難や現在について、率直な気持ちを吐露しています。
すべての画像を見る(全3枚)練習中に激突。あごから血を流しながら闘った
2014年のグランプリシリーズ中国杯の練習中に、中国のハン・ヤン選手と激突。あごから血を流す姿は、ニュースでも話題になりました。
「周りには本当に迷惑をかけました。『(試合に出るのは)やめなさい』と言われたし、(コーチの)ブライアンにも『今ヒーローになるべきじゃない。これからまだスケーターとしてできるんだから』と言われたんですけど、とにかくグランプリファイナルに出たかった」と羽生選手。
5度の転倒があったものの、中国杯は気迫で滑りきり、総合2位に。グランプリファイナル出場を果たし、2連覇を成し遂げました。
さらなる試練。尿膜管遺残症
連覇を遂げたグランプリファイナルのショートから、すでにおなかが少し痛んでいたという羽生選手。原因は、胎児期にへそと膀胱をつないでいた「尿膜管」が残って化膿などを起こす「尿膜管遺残症」でした。全日本選手権出場のため、手術をせずに試合に臨みましたが、その体はボロボロ。
「かがむのも反るのも痛いんです。イナバウアーもやったけど、全然反れなかった(苦笑)。毎回服に血がつくし、出しても出しても膿が出てくる状態で…」。そんななかでも、見事3連覇を達成した羽生選手。史上初の300点越えを果たしたのは、その翌年でした。
今がいちばん楽しい
「今がいちばん楽しいかもしれない、スケート」と語る羽生選手。
「ソチ五輪のときは、トップの選手たちが4回転2本とかをやっていた。それが今はもう、4回転の種類を競う時代。そのなかに自分が入って戦えていることが、とてもうれしいんですよ」
進化し続ける羽生選手。これからも目が離せません。
【はにゅう・ゆづる】
1994年、宮城県生まれ。4歳でスケートを始める。2011年、仙台市で練習中、東日本大震災に遭遇。避難所生活ののち、各地の復興支援アイスショーに出場しながら、スケートを続けた。2012年、初の自叙伝『
蒼い炎』を発売し、15万部のベストセラーに。2012年から16年までの激動の4年間をつづった第2弾『
蒼い炎II-飛翔編-』が、現在発売中。110点のカラー写真つき(羽生選手の印税はすべて、アイスリンク仙台へ寄付されます。出版社の売上げの一部も寄付いたします)