東京・奥多摩町に移住し定住したいと考える人が増えています。しかし、行動に移すには住むための土地や住宅、生活するうえでの仕事があるかなど気になることも。そこで、6年前に川崎市から移住してきた井田さんの家族を取材しました。井田さんは町の移住推進制度を利用して空いていた古民家を手に入れリフォーム。カフェ「茶屋榊」をオープンしました。開店以来、夫妻の人柄に惹かれた常連客が遠路はるばる通ってきてくれ、充実した日々を過ごしています。
すべての画像を見る(全14枚)「田舎暮らしをしたい」との思いで、奥多摩に移住
奥多摩駅から小河内ダムへ抜ける旧青梅街道は「奥多摩むかし道」と呼ばれるトレッキングコース。
車一台がやっと通れるくねくねとした砂利道を行くと、ようやく民家が見えてきます。「茶屋榊」との看板がある軒の低い古民家です。
「茶屋榊」の店主は、6年前に川崎市から移住してきた井田さん夫妻。
妻の直子さんがこの地にたどり着くまでには、次のような経緯があったそうです。
直子さんは川崎市の郊外出身。子ども時代に屋久島の映像を目にし、「一生に一度は行きたい」と夢見ていました。
その夢がかなったのは2009年のこと。その頃シングルマザーだった直子さんは100万円の貯金を手に、小学生の娘ふたりを連れていきなり屋久島移住を決行。しかしそれは期間限定の計画だったそうです。
「屋久島には高校がひとつしかなかったので、子どもたちの進路のことを考えたら、中学生になる前に戻ると決めていたんです」(直子さん)。
しかし想定外だったのは、帰るときに家族が増えていたこと。屋久島の職場で知り合った孝之さんと結ばれ、2011年には家族が4人になって川崎に戻ったのでした。
しかし、川崎に暮らしていたときも田舎暮らしの思いは断ちがたく、移住先をあれこれ探していたのだそうです。
【この住まいのデータ】
▼家族構成
夫30代 妻40代 長女10代 次女10 代 長男5歳
▼移住した理由
屋久島で出会った夫とともに、田舎に暮らししながらカフェを持ちたかったから。
▼リノベ面積とコスト
家は奥多摩町の「「いなか暮らし支援住宅制度」を受けたので無料で居住(将来的には譲与される予定)。
お店は古民家を購入(価格は秘密)。改装資金の一部は、町の開業支援200万円を利用。
移住後の住宅は、町の支援制度を利用して手に入れた古民家
そして見つけたのが奥多摩町。奥多摩に移住した当初、町営住宅に住みながらいろいろ調べ、「いなか暮らし支援住宅制度」があることを知ります。町が指定する空き家に15年住み続ければ、無償で土地と家がもらえるという制度で、それを利用することにしました。
それから3年後の2017年、「むかし道」沿いに建つ古民家を購入し、茶屋榊をオープン。
「町の空き家バンクの紹介で初めて見たときは、いつつぶれてもおかしくないようなボロ家だと思いました。でも、中に入れば趣のある建具も残っており、どこか懐かしい昭和の雰囲気が漂っていたんです」と直子さん
自宅の取得に加えて、店も町の開業支援を受けることに。小規模事業者等進出に係る優遇措置制度というもので、限度額は200万円。それを改修費に充てたそうです。
「ビー玉が転がるような家の傾きと外装を大工さんに直してもらったら、取得費よりも改修費のほうが高くつきましたね。内装は夫が手を入れました」。テーブルなどの家具はリサイクルショップで購入したそうです。
移住して開いた「茶屋榊」では、親子3人でお客さまをお出迎え
カフェがあるのは小河内ダムが近く、自然豊かな景勝地。ハイカーたちのメッカです。
開店以来、夫妻の人柄に惹かれたハイカーたちが常連客となり、遠くから通って来ます。
ちょっと個性的な彼らは、やがて天体望遠鏡やギター、レアものの車のオブジェなども持ち込むように。常連さんが発行人のカー雑誌も置かれています。そこに夫妻がデザインしたTシャツなどの土産物が渾然一体となっていて、実家に帰ったような心安さが漂います。
「都会なら、恥ずかしいって思うでしょうね。でも、ここでなら、やりたいことは何でもやればいいっていう気持ちになれるんです」(直子さん)。
胸に欧文がデザインされたようなTシャツ。少し首をかしげてみると馴染みの文字が現れます。
実は、奥多摩の駅前でカフェをやらないかという誘いもあったそうです。
「でも、不特定多数のお客さんの注文をこなすだけの店にはしたくなかったんですよね」。
常連さんも多いのですが、初めて来店した人も社交的な夫妻と打ち解けて長居をしていくそう。遊びに出かける機会は減ったけれど、「この店を開けるといろいろな人と交流できます。それが生きがいにもなっています」。
気になるメニューはというと、うどんやそば、カレーなど、山道を歩いてきた人がおいしく食べられるものばかり。
いかにも茶屋といったメニューが並びますが、名物料理はカンガルーの肉を使ったルーミートバーガー。低脂肪でヘルシー、噛み応えがあって味わい深いです。
接客をするのは妻の直子さんで、厨房に立つのは夫の孝之さん。
直子さんの若い頃の夢は、下北沢に昭和レトロな雰囲気の店を持つことでした。
「想像していた店とは違うけど、とても満足(笑)」。
ただ、この店の収入だけでは生活はできません。平日は夫婦ふたりとも外に働きに出て、店を開ける週末は家族で店番をして過ごします。看板息子の天くんは人懐こくて、初めてのお客さんにもとてもフレンドリーに話しかけていました。
「ここなら時間を切り売りするような生き方とお別れして、自分たちの望む暮らしをイチからつくれると思いました。都会にいたときのように完璧を目指さなくていい。そんな束縛から自由になるのが田舎暮らしの魅力ですね」と、直子さんは目を輝かせながら話してくれました。
茶屋榊/東京都西多摩郡奥多摩町境818 撮影/林 絋輝(本誌)
※情報は「住まいの設計2020年4月号」取材時のものです。