年齢を重ねながら、人生を楽しむにはどう生きればいい?そんな願いや悩みを抱える女性にぜひ知ってほしいのが、弓・シャローさんです。日本の名家に生まれ、28歳でパリに渡り、デザイナー、人気イラストレーターとして活躍。65歳を自らの定年としてすべての仕事からリタイアし、現在はアクセサリーや絵画などの創作活動を行いながら、ひとつ年下のフランス人の夫とふたり暮らし。楽しそうと感じたことは可能な限り挑戦し、パワフル(!)な日々を送っています。

フランス人の夫とふたり暮らし
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「人生はね、小さな毎日の積み重ねなの。だからもっと楽しまなきゃ! 日本とフランス、両方に暮らしてみてわかった本当のおしゃれと暮らしの楽しみ。それを大好きな日本の女性たちに伝えたい」と弓さん。

弓・シャローさん

人生の先輩は、はじめは絵に描いたようなお嬢様だった

プロフィールはそのまま朝ドラになりそうなお話です。弓さんの曽祖父、髙木兼寛氏は英国留学を経て医師に。1881年には東京・港区にある東京慈恵会医科大学を創設し、「亡国病」と言われた脚気の撲滅に尽力した功績で、男爵位を授かり貴族院議員も務めています。祖父の喜寛氏も同様に英国留学を経て、男爵、貴族院議員となり、医師として東京慈恵会医科大学の学長も務めました。父親の秀寛氏は15歳で英国に留学し、ケンブリッジ大学に進学、物理や化学の教科書よりも美術書の美しさに魅かれ、専攻を医学から建築に替えて建築家に。さらに、祖母で秀寛氏の母、志摩子氏も作家・有島武郎氏や里見弴氏、画家の有島生馬氏らのきょうだいなのです。

10部屋以上の部屋数があり、執事や庭師など総勢6、7人のお手伝いさんが住み込んでいたという、東京・鳥居坂の弓さんの実家。暮らしぶりは英国風で、昭和初期にもかかわらず、朝食はトーストとバターとマーマレードに紅茶。真夏の家の中でも祖父は三つ揃いに身を包み、父は弓さんには英語で話しかけていたといいます。弓さん自身は学習院、田園調布雙葉学園、女子美術大学、セツ・モードセミナーで学び、おしゃれと洋服と絵が大好きな少女として育ちました。

朝ドラのように波乱万丈!稼ぐことにアグレッシブに!

戦争により、髙木家は鳥居坂の家をはじめ、全財産を失います。けれども、家族は変化する暮らしのなかで、いたって明るいままでした。弓さんもまた、ダンディな英国紳士の髙木の血に、芸術家気質の有島家の血がミックスされた本領を発揮し、自由闊達、真摯でなにごとにもめげない性格だったそう。没落する生活のなかで、「生きること=働くこと=お金を稼ぐこと」と実感。人は自分のできること、好きなことで収入を得なければならないと考えた弓さんは、大好きなおしゃれや絵を描くことを生かして、イラストレーター、デザイナーの日本における先駆者となります。

いつだってポジティブに生きています

やがて28歳で渡仏。親しいデザイナーの高田賢三氏や荒牧太郎氏と合流することに。日本の雑誌のファッションページのスタイリングや、雑誌『アンアン』のイラストルポ連載、「プチバトー」などのブランドや、自身のブランドのデザイナーとして活躍します。

ファッション

猛烈に仕事をしてきた弓さんでしたが、65歳のときにリタイア。夫と愛犬とともにパリで充実した毎日を送り続けています。毎朝のお化粧タイムは30分。ファッションはシンプルなパンツスタイルがベースで、パールのネックレスやスカーフ、ベルトなど“甘辛小物”を上手に取り入れています。自分で塗ったピンクベージュのマニキュアが美しい手にはブレスレット、リング、時計の重ねつけも忘れません。「これで79歳なら、いいほうだと思わない?」。そう茶目っ気たっぷりにほほ笑む姿は、なんともチャーミングです。

元気と若さのために好奇心は忘れない

元気と若さには秘訣があると弓さん。「いくつになっても好奇心を忘れないこと。おもしそう!と思ったら、あれこれ頭でシミュレーションして考え込む前に、やってみる。そして分からないことは知っている人に、素直に『教えて』と聞くことかしらね」。やってみた結果の、失敗や挫折にはクヨクヨしない姿勢も大切。
「少しばかり挫折しても大丈夫。そのときはわからなくても、ときを経て、『それでよかったのだ』と思えるようになるもの。だから落ち込んでもいじけずに明るく前を向くことよ」。

元気と若さには秘訣がある
今はテンペラ画の楽しさに夢中という弓さん。歩いて15分のアトリエに運動も兼ねて出かけます

人に優しく寄り添いながら、ときに言いきるべきところはきっちり言いきるたのもしさがある弓さん。著書の

『パリが教えてくれたボンシックな毎日 ときめくものだけシンプルに。暮らしのセンスアップ86の秘訣』

(扶桑社刊)では、衣・食・住・対人関係・マインドについて、さまざまなアドバイスをしています。すべての年代の女性たちの心と暮らしを励ましたい! 79歳になった今も、弓さんはそう思い続けています。