作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回、高橋さんがつづってくれたのは、忙しい日々を送るなかで気づいたことです。

第6回「ダメな日」

暮らしっく
すべての画像を見る(全4枚)

●〆切に追われる日々…それでも書くことが好き

毎日、健やかに過ごしたいと思うけれど、そんなの無理だと少々諦めているところもある。いや、ポジティブに言えば、それこそが健やかに生きる秘訣のようにも思う。どこかで手を抜かないと、ぺしゃんってなってしまうときも人間にはあるもの。

これまで農作物や料理、発酵食品についても書いてきた。ゆったりと食や農と向き合って生きていたいと思う。体こそが資本だと35歳を過ぎたあたりからよくよく思うようにもなった。そうはわかっていても創作に没頭しすぎて、そのリズムがガタガタと崩れることもあるのだ…まあ、そんな自分も自分なんだよなあ。人間って馬鹿だ、だからこそ愉快だ。完璧な人間など、どこにもいない。

高橋久美子さん

私の職業はもの書きで、〆切に追われる日々だ。連載が月に4本、ラジオ番組も隔週でしかも生放送でやってくるし、そこに歌詞や脚本の依頼がイレギュラーに入ってくる。今年からは主催の詩のイベントも月1で開催。朗読ライブや作詞講座などで県外に行くことも多い。やりたいことを続けて来られたのは本当に幸せだと思う。好きなことだからしんどくてもがんばれる。

歌詞の〆切は「1週間でお願いします」だったらまだいい方で、たまに「3日後までに仕上げられますか?」とかいうのもあって、無理無理と心で思いながらも「了解しました! やります」と言ってしまっている。

自由こそが作家の醍醐味だけれど、試されているという状況も燃える。基本的に書くのが好きなのだ。仕事で毎日書き、仕事とは別に中学生の頃から書き続けている詩作は今も続けている。12月に3年かけて書いてきた詩画集がやっと発売されることになった。こちらは仕事とは違って、生きてきた証みたいなものかなあ。詩を書くことは自分の心の浄化作用のようなもので、迷っていた気持ちも定まっていくことが多い。

●バタバタなりになんとか家事をする。もし違う人生だったらと想像してみる

書くことに煮つまったとき、料理は最適だ。息抜きにもなるしなにより頭の整頓ができる。ニンジンを刻みながら歌詞がぽーんと浮かぶこともよくあるし、ご飯が炊けるまでの間に食卓で詩を書いていることも多い。なにか別の作業をするということが私のアイデア出しには必要なんだとわかってきた。

ただ、仕事が重なりすぎると…もう料理に手を出している余裕などない。徹夜が延々と続き、屍と化していく。家から出られないし、畑の世話もおざなりになる。ゴミ出しだって、洗濯だって、料理だって、お風呂にゆっくりつかることもできない。とりあえず大好きなお米だけは炊いて、納豆と梅干し、ゴマをレギュラー登場させる。私は子どもがいないのでまだなんとかなっているが、もし子育て中だったらと考えると何倍も大変なのだろうと想像する。いや、毎日がこういう状況かもしれない。

子ども達と歩く様子

姉は3人の子どもがいて、また私のよれよれとは違った疲れに日々襲われている。姉は「外で働いている方がラクと思うよ。だってだれかが認めてくれるやろ。子育てはだれにも褒められんもんな」と昔言っていた。

今は3人とも成長しそこまで手がかからなくなったけれど、本当に毎日疲れていて、愛媛に帰った一時だけでもと思い、子どもたちと遊んだり家事を手伝ったりした(もちろん喜びだって多いと思うけれど!)。子どもという人々は本当におもしろい。甥っ子たちは私の小さな友人であり親分である。それもまた、たまに会うからの新鮮さなのだろうと思うが、彼らにとってもおもしろい大人の一人として私が存在していたらいいな。

●母に言われた言葉を思い出し、結婚生活が気楽なものに

水辺の風景

私たちはいろんな人生を選択できる時代に生まれてきた。35歳を過ぎて、女性にはいろんな生き方があるなと考えるようになった。もちろん男性にも。私たち夫婦はそろってフリーで仕事をしているので日常がすでにイレギュラーだ。県外での仕事が多い月は、1か月会わないこともある。

久々に家で会って、

「ちょっとー。コンタクトの液のフタは閉めなよー」

「はいはーい。そっちこそソファーに上着置くのやめなね」

「はいはーい。ちょっとー私のお皿割ったでしょう?」

「ごめんごめん。ゴミ出し忘れてたでしょ?」

会わない時間に言いたいことも積もり積もっているんですよねえ。こういうことで結婚当初は言い合いがエスカレートしていくこともあったけど、今は減ったなあ。

〈人のふり見てわがふり直せ〉

若い頃、母に言われていた言葉を思い出す。自分だってダメな日があるのだから、人のダメな日を責めすぎてはいけないんだ。そして自分を基準に考えていたらいけないね。だって30年以上も自分とは違う家で、街で、味で人生を歩んできた人間と一つ屋根の下で暮らしているのだから、わかり合えなくて当然なのである。そう思うと、結婚生活も気楽だ。むしろ自分とは違う生物への興味は深く、ついつい観察してしまう。人と深くつき合うことは、結婚でなくとも友人でも恋人でも家族でも大変なこと。面倒くさいこと。でも面倒くさいから楽しさも信頼感も深まるのだと思う。

人生は選択と決断でほぼでき上がっていくのだなあと最近考える。仕事を断るか引き受けるか、結婚するかしないか、子どもをもつかもたないか。ううん、そんな大きな決断だけでなく、今日スーパーでタマネギを買うこと、シチューをつくろうと思っていたけど、カレーに変更すること、ちょっと遠回りして帰るということ、新しい店に寄ってみること、日常は決断の連続だ。その決断の一つ一つが今の私をつくっている。出会うはずのなかった人と同じ食卓でカレーを食べている。シチューにしていたなら、なにか少し変わっていただろうか。その自分には会うことができない。

人生は不思議だ。おもしろく、切なく、愛おしい。

【高橋久美子さん】

1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て作家・作詞家として活動する。主な著書にエッセイ集「いっぴき」(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」(マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどさまざまなアーティストへの歌詞提供も多数。NHKラジオ第一放送「うたことば」のMCも。高橋久美子さんの作詞教室やイベント情報は公式HP:んふふのふ

高橋さんのエッセイ集

『捨てられない物』は、高橋さんのHPにて発売。