高齢者支援サービスに頼る必要性を実感
家には解熱剤もなく、発熱の原因もわかりません。病院に連れて行こうにも、時刻は18時を過ぎており、動ける体力があるようにも思えません。かといって救急車を呼ぶのはためらわれ、#7119(救急安心センター事業)に電話をしてみたものの、混んでいるのかつながる気配がありません。
ネットで調べた往診可能な病院に実際に電話をしてみると、「うちは往診はしていません」という返事ばかり。ようやくたどり着いた高齢者を対象とした在宅診療のクリニックも、初診では時間外の診療が難しいことがわかりました。
それでもとても丁寧に対応していただきました。翌日さっそく診療に来て、薬の処方や採血などテキパキと施してくださり、熱も大事には至らずすぐに平熱に戻ってくれました。
この高熱がなければ調べることのなかった、さまざまな高齢者に向けたサービスや、地域の高齢者相談支援センターなどなど。自分の勉強不足を思い知らされましたが、今後はますますお世話になることも増えていくのでしょう。
後半人生のスタート地点に立つ
高齢となった両親に起きる数々の出来事は、いずれ自分にも起こりうることばかりです。私たちが80歳を超える頃には、若者の数はさらに少ないことは周知の事実。
昭和一桁生まれの父のように、長生きができるかどうかは自信がありませんが、子どものいない身にとっては、早め早めの対策と準備は欠かせません。
普段は、生活の上で負担が増え、人の手を借りたい場面が多々あるにも関わらず、介護認定の審査の際には、「まったく大丈夫です」と答えてしまうのは、私の親に限ったことではないようです。
今は苦笑いのわたしも、きっとそのときがくれば似たような返事をする気がします。年月を重ね、思いとは裏腹に、できないことが増えていく人生の後半。そのスタート地点にいま立っているのかもしれません。
それも人生。散る桜に少し感傷的な気持ちになる春です。