新しい友達からもらう刺激は「ときめき」に近い

お茶
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かと思えば、その熱は突如やってくる。トークイベントなどで自分の知らない世界にいる人と出会うと、もっと話したい! もっと知りたい! という欲が湧き出てくる。そして、その人と語り合えるような人になろうと様々に勉強しはじめる。そういう刺激は、バンドをはじめたときのときめきに近い。恋にも近い。友達になりたいというか、憧れや尊敬なのだろうと思う。

身近な人と、ずっとそういう恋や尊敬に近い関係でいられたらすてきだ。久々に会って、やっぱりかっこええ生き方しとるなと思いたいし、思っていてほしい。願わくば、追い越したり追い抜かれたりしながら、一緒に走っていたい。ただ、常に凛々しく第一線で活躍していてほしいということではない。歩いても、息切れして止まっても、呼び出してもらえるならば、いつだってかけつける。友達とはそういうものだ。

この間、同郷の僧侶、白川密成さんと対談をしたとき、

「友人や夫婦は考え方が似てくると言うけれど、仏教では、『一緒にいる人は、その人そのものになる』という考え方があるんです」

とおっしゃる。会場がどよめいた。類は友を呼ぶとは思っていたけれど、そこまでとは。

時には新しい服や食器を迎え入れるように、新しい人の新しい風を入れることも大切だなと思ったのだった。それに、一人で日常を楽しめるようになるのも大人の醍醐味ではないだろうか。

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