日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「夫に対して愛情が消えてから、行為が苦痛でしかなかった」と本音を漏らすのは、ワーママの彩乃さん(仮名・37歳)。夫の海外赴任に帯同し、夫婦の絆が深まり、最愛の第一子も誕生。しかし、産後から離婚一直線…。いったいなにがあったのか、詳しく聞いてみました。
産後の恨みは一生もの。「夫とはもうキスも無理」
私が夫と結婚したのは、30歳のとき。製薬会社に勤務していた夫がドイツ赴任になり、私も当時勤めていた会社を退職して、一緒に帯同することになりました。今になって思えば、夫との暮らしを楽しいと思えたのは、この新婚当時の駐在時代だけです。
●夫しか頼れない!私の駐在妻生活
すべての画像を見る(全4枚)赴任先は地方の街。日本企業の進出の盛んな場所だったこともあり、買い物や食事には不自由しない生活でした。ですが、狭い日本人コミュニティとのつき合いは、独特の苦労の連続。
当時その街に住んでいたのは、駐在員以外にも現地で就職した人、ドイツ人と結婚した人、留学やワーキングホリデーで来ている学生さんなど、いろんなバックボーンの人たち。それぞれ目的や帰国の目途も違えば、生活の悩みの種類も異なるので、お互いにあまり深入りしないような壁を隔てたつき合いばかり。
ここでは本音で相談できるのは夫だけという状況だったので、新婚ではありましたが夫婦の絆は一気に深まりました。この頃は夫婦としてのバランスがいちばん取れていて本当に幸せでしたね。
●出産するなら、日本とドイツ、どっちにする?
駐在生活2年目のとき、私の妊娠が判明しました。夫は「ドイツなら医療技術が高いから安心だよ!」と言っていて、出産も育児もドイツで…と考えていた様子。実際、周囲にはドイツで出産したというご夫婦もいたのですが、やはり言葉も文化も違う場所で初めてのお産に挑むのは心もとなくて。私の希望で、日本に戻って出産することに決めたのです。
今になって振り返ってみると、この選択が私と夫が離婚へと向かうターニングポイントになったような気がします。
●実家での出産、育児。そこに夫の姿はなく…
私は横浜の実家へ里帰りして、近くの産院で無事に元気な女の子を出産しました。産前産後の一週間くらいは、夫も一時帰国をしていたのですが、そのあとは実家で実母に助けてもらいながらのワンオペ育児。
こうなることは覚悟のうえでのことでしたが、やはりかなりしんどかったです。なにが辛いって、この大変さを夫にいくら説明しても理解してもらえないこと。
「夜中も3時間おきに起きて授乳してるんだよ」とか「ウンチがもれて、掃除しているそばからまた連続でウンチして…」という苦労も、電話やメールでは大変さがぜんぜん伝わらないんですよね。母は夜中も一緒に起きて子どものお世話を手伝ってくれたりするのですが、物理的にそこに夫はいないわけです。
●“頼れる夫”が“使えない男”になるまで
数か月後にまた一時帰国したとき、なにを勘違いしたのか、ちょっと沐浴やっただけで「俺はイクメン」みたいな顔をされたことにも相当腹が立ちました。助産師さんには「ご主人をうまくおだてながら協力してもらって」なんて言われたのですが、なんでこっちがおだてなきゃいけないのでしょうか。協力って、夫だって親なのです。女性がやって当たり前みたいな空気は、違和感しかありませんでした。
夫は当事者意識がなさすぎて、言われたことしかできない指示待ち状態。子どもがちょっと泣いただけで不安な顔をしてすぐに助けを求めてくる…。駐在中はあんなに頼りになる人だったのに、育児の場面ではまったく使えない人になってしまったのです。
やがて子どもが卒乳して、食事もだんだん大人と同じものが食べられるようになった2歳の頃、やっと私も心の余裕が少しずつ出てきました。けれどこのときにはもう、夫からすっかり心が離れてしまっていました。