漫画家の大町テラスさんは、コロナ禍の2021年に39歳で出産を体験。初のコミックエッセイ『ハラがへっては育児はできぬ』(秋田書店)では、そんな妊娠・出産、コロナ禍中の子育て経験などを綴っています。

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『ハラがへっては育児はできぬ』大町テラスさんインタビュー

大町テラスさん
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ここでは作品に対する思いや、コロナ禍の妊娠出産で大変だったこと、料理の喜びなどについて伺いました。

 

●産後3日目に夫がコロナ陽性に。不安しかない状態から育児がスタート

シュウマイ

 

作品の中では、大町さんと夫、そしてお子さんが、おいしいものを食べながら日々の幸せを感じ、「3人家族」として暮らしていく姿が描かれています。

実際のシュウマイの食卓
実際のシュウマイの食卓

――夫や子どもが寝静まった夜に食べる肉シュウマイ、ワンオペ時の簡単汁なし温しゃぶ、夫婦思い出の味の羊肉シチューなど、暮らしに根づいた料理の描写が絶妙な本作ですが、2021年に39歳で出産されたときは、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言の真っ只中だったそうですね。

大町さん(以下、大町):あの頃に出産された方は皆さん同じ状態だったと思うのですが、私の場合も、感染拡大防止のため、つきそいの家族がいないまま分娩しました。もともと出産直前の検診で病院に行った日に、妊娠高血圧症が判明し、急遽入院したんです。そしてそのまま、緊急帝王切開となりました。

産後、子どもと会えたときの喜びは格別なものがありましたが、そのタイミングで夫から「コロナの陽性反応が出てしまった」という連絡がきて。新しい家族が増えた嬉しさと、夫は大丈夫なのか、そしてこの先、私たちはどうなるのかという不安が一気に押し寄せてきて…。産後しばらくは、心の中がパニックになっていました。

 

――夫の隔離期間が終わり、ワンオペ育児が終わったあとも、しばらくはナーバスな状態が続いていたのだとか。

大町:とにかく「私は熱を出しちゃいけない!」「今、体調を崩して病院へ行ったら、そこでウィルスに感染して、子どもにもうつしてしまうかもしれない」など、不安と妄想でぐるぐるしていました。夫にも「緊急事態宣言中なのに撮影の仕事を再開するの!?」と、大人数で集まる場所へいくことに強めに抵抗感を示してしまっていました。しかも産後から約半年が過ぎた2021年の夏に、デルタ株の新たな感染拡大が始まり、おとなしくステイホームを続けていた夫の母親がコロナに感染して他界したのもショックで…。

その頃、世間は東京五輪でそれなりに盛り上がっていた気配はあったみたいですが、私は、まったく余裕がなかったです。スーパーへの買い物すら、どのタイミングで出かけたらいいのかわからず。気持ちが落ち着くまでは、ネットスーパーを利用していました。

 

●緊急事態宣言のなかでも、小さな幸せをくれたのが「料理」

――そんななかでも大町さんの心をほっとさせてくれたのが、料理だったんですね。

大町:もともと飲み歩きが大好きで、居酒屋メニューが大好物だったので、お酒のつまみになるような料理をつくるのは好きでした。緊急事態宣言が続いて、外出も思うようにならなかった頃は、成長する子どもの姿を夫婦で見守りながら、日々のご飯をつくるのが大きな安らぎになっていました。

 

――お子さんが生まれてから、つくる料理に変化はありましたか?

大町:だいぶ変わりましたね。それまで汁物といえばお酒でしたから、「みそ汁ってなんのためにあるんだ?」ぐらいに思っていたんです。今、子どもが離乳食を卒業して、いろんなものを食べ始められるようになっていて、みそ汁が大好きなんですよ。とくに豆腐やナメコは、生え始めの歯にも食感が心地よいらしくて。みそ汁ってありがたい食べ物だったんだなと(笑)。

ほかには、山芋をバターでソテーし、青のりや塩で味つけしたものをつくったり。大人でも子どももおいしく食べられるメニューをつくるなど、野菜をおいしくいただけるようなものを工夫しています。