●私にとって親は師匠でもある
20年以上も別々に暮らしていた親と再び一緒に暮らせるのか…まだ未定だ。絶対にそうしなければいけないと、決断しすぎるとどんどんと自分を追い詰めてしまうので、動きながら無理なら新しい方法を考えればいい。別の家を借りるか建てるというのも考えたが、田舎の家はめちゃくちゃ広い。なんと我が家は11部屋もあり、民宿ができるほど大きいので、今のところ一人の空間を確保できる。
これはかなり重要なポイントかもしれない。自分の部屋が確保できないならば、他に家を借りていただろう。父とは畑でしか話さないもんなあ。互いのフィールドに踏み込まないのも大人共同生活のルールだと思う。
すべての画像を見る(全4枚)今はエネルギーが農業だけで精一杯なので、住まいのことを考えている時間がないというのもある。一日の時間は限られている。40歳にもなると体力だって限られていく。自分も親も無敵じゃないことが分かってきた今だからこそ、実家で暮らせるのかもしれない。父母の暮らしから学びたいことがあると気づいた。
師匠としてそこにリスペクトがあるのでやっていける。ある種、そのくらい淡々としたものだ。本やYouTubeでも、いくらでも農業や暮らしの知恵を学ぶことはできる。もちろん、それでいいとも思う。けれど、今になって父が当たり前に毎年育てている米の作り方や、母の味噌の味、そういうものを知りたいと思った。これは理屈ではない、本能的なことではないだろうか。祖父もその上の代の人達も守ってきた畑を続けてみたいという目的があるから、ここにいるのだ。
消去法で暮らしを選ぶよりも、ポジティブに何かに惹かれて移動する方が私はいいなあと思う。焦らないことだ。引き返したっていいのだから、覚悟は持ちつつもそのときそのときの気持ちに素直に進んでみよう。