日本人の死因第1位で、生涯のうちにかかる可能性は男性の2人に1人、女性の3人に1人と言われる「がん」。私たちにとって身近な病気のひとつになっています。
第1子妊娠中に、夫であるお笑いコンビ・はんにゃの川島章良さんの「がん」が健康診断により発覚した、川島菜月さん。じつはその3年後、第2子妊娠中に、同じく「孫が増えるから」という理由で受けた健康診断で、離れて暮らす父親のがんも発覚。
現在ブロガーとしても人気の菜月さんに、今回は、父親のがん闘病の際に娘として感じたことについてつづっていただきました。
第2子妊娠中に父ががんに。父の意外な気持ちを知る機会に
第2子入院中、当時60歳の父(私は父子家庭で祖母と父に育ててもらいました。現在父には妻がいます)ががんを患い、夫に続き、妊娠中2回目の闘病生活を送ることとなりました。
父は居酒屋を経営しており、食べることと飲むことが唯一の趣味と言える人。毎日のように暴飲暴食をし、さらに大の病院嫌い。私が第二子を妊娠したことをきっかけに受けた健康診断では、すでに食道がんのステージ3であることが発覚。胃やリンパにも転移している状態でした。
私は実家の店の手伝いと看病のため、幼稚園に通う娘の夏休みを利用し、1か月半、地元に帰省することに。
●ICUで3日間過ごした父。親子で同じ体重に
手術は約10時間ほどかかりました。ICUで3日間過ごし、初めのうちは、喋ることも食べることも飲むことも制限されていました。食道がんは夫のとき(ステージ1の腎臓がん)とは違い、食べることに制限がかかるので、回復までにかなりの時間がかかりました。
初めは水やおかゆさえもむせて、ご飯を食べられるようになるまで何度も吐き戻していました。食べることが困難なので、腸に点滴をとおし栄養剤を入れましたが、みるみるうちにやせていき、最終的に身長175cmの父が、妊娠中の私と同じ体重54kgに。
私はどんどん太り、父はどんどんやせていき、2人でおもしろくなって笑い合ったこともありました。
●家族一丸となって乗り切った入院生活
父が入院中の生活は、娘を一時保育に預けて実家の店の買い出し、仕込み。それから娘をお迎えに行き、夕方から父の病院へ。
むせたり吐き戻したり、そもそもの食欲もない、と食事を取ろうとしないので、娘に「じいじがんばって」と応援してもらい、食事を見守ったあと帰宅するという毎日を過ごしました。
父の奥さんは、夜中に父の看病をして朝方帰宅。お店の掃除をすませたらまた病院へ戻り、夕方私とバトンタッチしてからはお店の厨房に立ち、毎日働いていました。まさに家族一丸となって、父の看病と店を切り盛りする感じでした。
●初めてじっくり過ごした父との時間。父との距離が縮まることに
しかし今回の父の闘病生活も、つらいことはありましたが、意外と悪いことだけでもありません。
幼い頃、私はほとんど父方の祖母に育てられ、忙しかった父と関わることがなかったのですが、入院中長い時間を一緒に過ごし、私が知らなかったことや父の思いなど、いろんな話が聞けました。少しだけ絆ができたというか、なんにでも意味があるのかなぁなんて思ったり…。今回の父のがんもひとまず転移が見られてなかったので、結果オーライという感じです。
妊娠中に発覚した夫と父のがん。子どもたちがいなかったら、今どうなっていたのだろう? と不思議な感覚に陥っています。
そして、こんな短期間で夫と父ががんになるなんて考えてもみなかったので、本当にまさかな出来事でしたが、だれの身にも起こりうること。健康診断はとても大事だと改めて実感しました。なにかきっかけがないと行かない方が多いので、周りの方が声をかけてみるのもいいかと思います。
【川島菜月さん】
1990年生まれ。お笑いコンビ・はんにゃのツッコミ担当、川島章良の妻。現在はブロガーとして「
川島菜月のオフィシャルブログ」にて、育児や家族のこと、手間抜き家事、節約術などを発信し、多くの支持を集める。2021年春より夫婦のYouTubeチャンネル「
川島夫婦チャンネル」も開始。