主婦業のかたわらエッセイストとしても活動する若松美穂さんが、楽しく、豊かに暮らすためのさまざまな工夫をつづります。
東日本大震災を機に、実の母と同居を始めた若松さん。家族だからといって、最初からスムーズにいったわけではないと言います。
同居生活で感じたことを執筆していただきました。
母と私のドタバタ暮らし~私を使わないで~
「お母さんってさ、自分の願いをかなえるのに、私のこと使うよね~」と兄に愚痴りましたら、兄がめちゃくちゃ笑っていました。兄もそう思っているらしいです。
震災前の母は、美容師として一流でも、できないことは、丸ごと、すべて父まかせ、人まかせ。日常生活は人への依存度が高い人だと思います。
美容室の店内でも、従業員さんに指示を出せば、周りが自分の思うように動いてくれます。たとえばパーマをかける、髪型をセットするのでも、基本、道具は使う状態に用意されていて、母は必要なことだけをする。あと片づけはまた、ほかの方にしてもらうのです。
母との暮らしで気がついたことは、その人がなぜそうするのか、というか「してしまうのか」の原因を知ること…それまでの母の育ちや暮らし、世代、年齢にあるわけなので、その人のバックヤードを知ることが、有効だと感じました。こうだから仕方がないのかもしれない、と私が私をなだめる理由になったのです。とはいえ、イヤなものはイヤですけれどね(笑)。
たとえば、ある雨の強い日。「あの子たち大丈夫かしら」「心配ねぇ」と母。そこで止まればいいのですが、妄想力は加速。そのうち、「ねぇ、あの子たちのこと迎えに行ったら」。
え? どうして? 傘も持っているし、お友だちと一緒に帰ってくるのに?
それに、私としては、雨に濡れるのだって、ひとつの経験だと思っているのです。靴がびしょびしょになった感覚。家までがなんだか遠く感じる時間。濡れた冷たい洋服や肌の感覚。なにがよくてなにが悪いかは、人によって異なりますもの。
ある人は(私のことだけど…)それも思い出になり、晴れっていいなと感じる理由になる。次から対策を取るきっかけになる場合もあります。子どもたちには、さまざまな経験をし、感じてほしい私と、今まで人に親切をしてもらってきたから自分も親切をした方がいい…を信じている母の間で、何度も意見の食い違いがありました。
それでも、母の思いも理解ができるとして、私に対して「迎えに行ったら」ってどういうことかな?
私の気持ちとしては、「母自身の心配を解消するために、私を使わないで!」です。「その方がいいわよ」的な言い方も、なんだかな。
迎えに行きたければ、母が行けばいい。なにかをだれかに送りたいのなら、自分で手配してほしい。好きなようにしていいから、私を使わないで。
ということで、私の口癖は「いいと思うよ、お母さんがするならね」になっております。
【若松美穂(わかまつみほ)】
お金をかけずにセンスと工夫でおしゃれに暮らすカリスマ主婦読者として、生活情報誌『ESSE』や『サンキュ!』などで紹介され人気者に。2011年、心理カウンセラーの資格を取得。主婦業のかたわら、エッセイストとしての執筆活動のほか、講演、各メディアへの出演など多方面で活躍。夫と娘2人、母親の5人家族。埼玉県在住。公式サイト「
“いま”と“みらい”のへや」にて最新情報を更新中