ペットの柴犬の写真をツイッターに投稿し続け、その自然体のかわいさが人気となっている
@inubot。ESSEonlineでは、飼い主で写真家の北田瑞絵さんが、「犬」と家族の日々をつづっていきます。
第11回は、犬が5歳の誕生日を迎えるにあたって感じたこと。
5歳の誕生日を迎えた犬。ケガや病気にはくれぐれも気をつけるから、どうか気ままにいてね
2014年5月7日生まれの牡牛座。
犬が5歳の誕生日を迎えた。
うちにきたのは8月11日で、すでに生後3か月だったのでお産や赤ん坊のときのことはわからないが、命を産むという大業を果たした母親は、世界に出てきたばかりの犬にどのような感情を抱き、どんなふうに触れたのだろうか。目の形とか似ているところもあるのだろうか。
ブリーダーからお店へ、お店からうちへとやってきた犬。人の手で母親と犬が引き離されたときのことを想像すると、私だって加担しているのに身勝手はなはだしいが苦しくて、涙の膜がはってくるのをこぼさぬように瞼を閉じて責任を感じる。
完璧ではなくて、最適でもなかったかもしれないが、快適ではあるようにと、わが家なりに私なりに犬と暮らしてやってきた。
最初の2年ほどは小さな体が目に見えて成長していって、顔つきもどんどん変わっていって、生活のために必要なしつけもあったので、育てているという感覚が強かったが、現在は「共生」という言葉がしっくりきている。
母に犬がやってきてからの5年という年月はどうだったかと聞けば、「う~~~ん」と眉間にしわを寄せてうなってしまった。投げてから、困る質問をしたと反省した。
犬がやってきてから、私たちの日常にはとらえきれないようなささやかな出来事が暮らしの端々に散りばめられていて、それは無数に、にぎやかに、色とりどりに光を放っている。
犬が生まれたときから今まで時間の層が積み重なっている。そこで起きる出来事に大も小もないので5年間を簡潔に話すことはとても困難だが、もし年表があったとして太字でトピックになることを挙げるなら、ひとつは去勢手術だろう。
犬に去勢手術を受けてもらうか否か選択するときに、受ける方向ではあったが、双方に生じるメリットとデメリットを調べては母と話し、必要な事であると確認し合った。術後、犬は疲弊していて、施術のあとは痛々しかった。心身を休めて、ゆっくりと回復していった。エリザベスカラーを外して、身軽になったと喜ぶように仰向けに寝転んだおなかをなでたときにやっと安心した。
歳を重ねるごとにますます好奇心旺盛になっていて、いつまでもやんちゃ盛りだ。手を広げて「おいで」と犬を呼べば、近距離だろうと勢いよく駆けてくるので、体当たりになってしまう。ビュウン! なんて風をきる音まで聞こえてきそうだ。
犬が2歳の頃、少し目を離したら水たまりで顔にまで泥をつけて遊んでいて、8歳の頃の自分を見ているようだった。言うまでもなく帰ったらお風呂に直行した。
祖母がいた頃は、私が犬をなでていると「みーちゃんになでられとるときの犬は“最高~”って顔しとる」と言って、よく目を細めて笑ってくれた。祖母は曲者だったが、孫と犬にはとびきり優しかった。
そんな彼女が3年前に亡くなったとき、家には親戚や町内の人が連日来てくれた。本当にありがたく、うれしいことだったが、犬は警戒して興奮状態だった。吠える犬に近寄る人もいないが、危ないと伝えるために植木鉢やプランターで囲いをつくった。
母はこのとき犬に感謝していたのだと言う。
先のうなる質問から「犬がいてくれてよかったって思ったことはある?」と質問を変えれば、少しの間を置いて、ぽつりと話してくれた。
祖母が急逝したあと、どうしても空虚になることがあったけれど、犬の世話をしているときだけはずいぶん気が紛れたのだと。山に農作業をしに行くときだって、一人ではなく犬が同行してくれていると孤独を感じなくてすんだと話してくれた。山は、母が決心して祖父母から受け継いだ、つながりだ。
犬によってそれぞれだが、少なくとも愛犬は人の寂しさを埋めようとか慰めようとして行動していないように思うし、気にしないでいい。犬が自然体でそこにいるだけで、十分な力をもらうことができるのだ。たりている。
犬にはどこかに血の繋がった家族がいる、そして血の繋がりはないがここに家族がいる。5歳になる犬、ケガや病気にはくれぐれも気をつけますから、どうか気ままになんなりと。
Happy Birthday to 犬。
4月17日、私は緊急入院した。そう書くと大袈裟だが、たった3日間の出来事だった。いや、それでもかなり懲りた。詳細は省くが、深夜に救急を受診したところそのまま入院となった。
犬からしたら、外泊するときはいつも報告していくのに、夜更けに一言もないまま出ていって帰ってこない私を、どう思っていたのだろう。
入院2日目の夜、家では兄が犬の顔を観察しながら、私のことが心配でやつれたんちゃうかと母に言っていたそうだ。病室で聞いたときは、兄の思い過ごしちゃう? なんてぼんやり思った。
退院が決まって、犬にやっと会える! とはやる気持ちに両足はもつれ、体力の衰えを実感した。車内から犬の姿を視認、会いたかったという気持ちが込み上げてくる。遅い足取りで、名前を呼びながら近寄ったら、様子がいつもとは違った。
普段であれば踊るように迎えてくれていたが、このときは表情も変えないまま、そっと立ち上がり、静かに歩み寄ってきた。そして、しゃがんだ私の腕の中に静かに入ってきては、顔をぐうぐうと押しつけてきたのだ。犬の弱い一面を見た気がした。
(心配かけたね、ごめんね、帰ってきたよ、ごめん)
謝るように犬の背中をなでて少しの間そうしていたが、突然犬がバッ!! と顔を上げ、こちらにしっぽを向けて離れていった。行き先はすぐそこにあったご飯だった。
バクバクバクバクバクバク! 爆食い、爆食いが始まった。おなかが減っていたの? ほっとした? 兄の目はあながち間違っていなかったのかもしれない? なんて考えながら、なんだかおかしくて、うれしくて、声を上げて笑った。