作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセイ。今回は、結婚や家族という関係性にとらわれない理想の共同生活についてつづってくれました。

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最近、友人がルームシェアをはじめた。

「単純に誰かと一緒に夕飯を食べたいなと思った」

と言う彼女の言葉に深くうなずき、人と一緒に暮らす理由なんてそれで十分だよなと思った。気の合う女友達との暮らしは、とても楽しそうだ。帰ったら家に電気がついているという何気ないことに安らぐと言った。普段はそれぞれの部屋で過ごし、夕飯や朝食を一緒に食べ、一日にあったことを話したり、実家からダンボールで届いた大量の野菜も二人ならば消費できた。何より、一緒に食べる人がいればちゃんと料理をするようになる。

人に会うことができなかったコロナの時期に、誰かと一緒に暮らしたいと気づいたのだと言った。もちろん一人も気楽でいいけれど、年を経るにしたがってこの先の人生について考えることも多くなったのだそうだ。

●結婚という形だけがすべてではない

女性たち
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「シスターフッド」という言葉を聞いたことがあるだろうか。1960~70年代に女性同士の連携を意味する言葉として生まれた。女子同士で一緒に暮らし、もしくは近くに住んで長く人生を支え合う関係。正確にはシスターフッドとは少し異なるけれど、結婚という形だけがチームのすべてではないよなって、最近本当に思う。

女性同士の方が体調の波なんかも理解し合えるし、安心感があったりもする。やっぱり女友達との旅や集まりには同性ならではの気楽さがあるもんなあ。

彼女の話を聞きながら、結婚というルールに当てはまらない形で共同生活を送ることも人生の選択として大いにありだなあと思うのだった。

●新しいコミュニティから学んだ理想の関係性

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また山間地域に住む別の友人は、ここ10年くらいの間に次々に近隣に親しい友人が引っ越してきている。重い荷物を運ぶときには男性の友人に軽トラを出してもらったり、たくさん野菜をもらったらみんなで鍋をしたり、子どものお世話もみんなで自然と手伝い合っていて共同体として無理のない形になっている。

とりわけいいなと思うことは、友人のお母さんがその輪の中心にいて、みんながお母さんを大切にしているところだ。私を含め、人が集まれば、お母さんは天ぷらをせっせと揚げ、春は珍しい山菜料理を食べさせてくれた。若い人との交流が楽しいとも言ってくれる。

年齢もさまざま、子どもの有無、職業、そういうものを越えて集える居場所。居場所がまた人の輪を広げ、彼女の近くにはみるみる移住者が増えていった。なるほどこうやって人が人を呼び町ができていくのだな。そのコミュニティは優しく前向きな力で引き合う「互助」で成り立っているのだった。

でも、疲れたときには「疲れたので今日はお休みにする」と言えることや、べたべたしすぎない適度な距離感が取れることも、さすが大人のコミュニティーだなと思うのだった。

「結婚」「家族」という形式にとらわれず、近い価値観の人間同士が良い距離感で暮らす。彼女たちの暮らしを見聞きするに、そよ風のように、とてもいいエネルギーの流れを感じる。夫婦とて、そういう関係でいられたらベストだな。

男女関係なくそれぞれに得意なことを持ち寄って一緒に暮らすって、きっと原始時代人間が洞窟でやっていた共同生活にも近いのではないか。子育てだって、両親だけがするものでなく、安心できる友人たちが関わることで子どもにとっても様々な良い作用があると思う。「自分らしい」を探し実践している彼女たちの生活は新しい輝きに満ちていた。

 

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