作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回は、親が物を捨てない悩みをもつ友人に対して久美子さんが伝えたことについてつづってくれました。
第25回「なにも捨てられません」
●親が物を捨てない。でも、その価値観を押しつけないで
6月、久々に実家に帰ったという友人から電話があった。実家大好きな子だから、きっと満喫しているに違いないと思って出ると、なんだか声が曇っている。
「親とけんかしちゃった。親がさ全然物を捨てられなくて、部屋がもう荷物で溢れてて。じゃあ私が片づけ手伝うよって思ってね、『これはいる? これは捨てていい?』って聞くんだけど、全部思い出があって捨てられないって言うんだよ~」
「ありゃー。まあねえ、お母さんの気持もわかるけどねえ」
「だって、私のピアノの発表会の服なんかもまだ取ってあるんだよ~」
「いや、それ捨てれんやろ。私が親だったら絶対捨てれんわ」
「そんなこと言ってたら、あれもこれもって、全部捨てられなくなるじゃん?」
うーん。せっかく帰ったってのに、そんなことでけんかしてるのもったいないなあ。でもあるあるだよね。しばらく会わないうちに価値観って変わっていってたりするもの。いや、両親の価値観は昔から同じなのかもしれない。変化しているのは私たち子どもの方だったりするのかもなあ。
私は、ご両親の家なのだから好きにさせてあげたらいいんじゃないかと言った。捨ててすっきりするのは彼女だけだろう。毎日思い出に囲まれて生きていたいお母さんの気持ちを尊重してあげてもいいのではないか。だって、そこに私たちはいなくて、両親が今を生きている場所なのだから。タンスの中に入れたまま一生見ることがないかもしれないピアノの発表会の衣装。それでも、家族の記憶がそこにあるというだけでお母さんの日々が安心し、満たされているのならば、それが正解なのだ。
「あのね、自分の価値観を押しつけない方がいいと思うよ。世の中的には捨てるのが良しとされているけれど、だからって捨てられないことが悪になったらいけないと思うよ」
と私は言った。なにもゴミ屋敷にしているわけではなく、きちんと掃除洗濯をして暮らしているのだから、生きている間は好きにさせてあげたらいいじゃないか。それで、ご両親が天寿を全うしたあとに、子どもたちが一斉に片づけしたらいいと思う。もし、一人では決心がつかないから、一緒に片づけしてほしいとお母さんが言うなら手伝うのがいいけれど、望まないならそっとしておくのがいいんじゃないかなあ。
●物の価値観は本人にしかわからない
なにを隠そう、私も整理整頓が子どものころから苦手だ。好きな物に囲まれて暮らしたい。雑誌のバックナンバーも、かさばるCDも、ヒビが入ったお皿も、短くなった鉛筆も、みんなにもらった手紙も。やっぱり捨てられない。別に過去にしがみついているわけではない。ただ、いいなと思う感覚を残しておきたい。写真に残して捨てればいいというのも一理あるけど、物への愛着がある。そして物のたたずまいがもっている未来へのエネルギーみたいなものがあって、それがあることでがんばれたりする。過去からのエールのような。
だから、彼女のお母さんの気持ちがすごくよくわかるのだ。たとえ家族だとしても、勝手に部屋に入られて「これもこれも捨てた方がいい。だって使ってないじゃないか」と正論を言われたらとても悲しい気持ちになるだろう。その物の価値は自分にしかわからない。他人にとってはガラクタでも、自分にとっては宝物なんだ。捨てるならば、死んでからにしとくれ! と思っちゃう。
●親も自分も違う時代を経て育った大人同士だ
大人になって実家を離れた今、それぞれの時間が流れていることに気づく。きっと互いに、昔のまんまでいてほしいと思っているけれど、それぞれの環境で過ごす中で少しずつ変化はある。親だけど、最近は地元の友達のような感覚で話をすることもある。ちょっとだけ距離をとっている方が楽だと思うし、大切にできると思うからだ。子どもと親という関係は永遠に変わらないけれど、思考的には私たちは互いに大人だ。しかも、違う時代を経て育った大人同士なんだ。4年前結婚をしたとき、結婚式をするかどうか迷っている私に母が言った。
「あなたたちを育てたのは親だけではないでしょう? だからやるならみんなを呼んでやった方がいいと思うよ」
この人はとっくに子離れできているんだなあと感心した。そう、まさにそのとおり。もちろん私は両親に育てられたが、これまで出会ってきた人によっても育てられた。育て合った。だから、友人たちとの関係がそうであるように、両親や姉妹とも、親しき仲にも礼儀ありを忘れずよい関係を築いていくことは大事だろうと思う。思い合うことは価値観を押しつけ合うことではなく、それぞれの今を認め信じてあげられることなんじゃないかなと。
私たちは少しだけ親たちより早いスピード感覚で生きている。時代の流れを受け止めながら、対応しながら、ときには大切な物を捨てる瞬間もあるだろう。一方で、思い出をもう一回引き出しから出して、咀嚼しながら暮らす人がいてもよいのだ。変化することだけが正しい生き方とは限らない。年を経て、そう思うようになった。
●離れていても、受け継いだ物で愛情を感じることができる
私も実家が大好きだから、2か月に一回は帰っていたけれど、コロナウイルスの影響で気づけばもう半年は実家に帰ってない。実家から届く野菜のダンボールに入っている手紙を読んだり、メールや電話をたまにするだけという時間の流れにも慣れてきた。梅干しを漬けているとき、みそ汁をつくるとき、洗濯を干すとき、実家のことを思い出す。それは、そこはかとない愛情の伝授だ。会えないことは寂しいけれど、梅干しのように深くじっくり浸かっている気持ちがあると知った。知らず知らずのうちに覚えた味や、習慣、植物の育て方、両親からもらった命について、人を思うということについて。
「東京のコロナが早く収まるように毎日お仏壇に拝んでいます」
という母からの手紙。同じように静かにあの家で私たちを思っていてくれる人がいることをありがたいなと思う。たまに電話をしたら、言いすぎたり腹立ったりけんかになったりもするけど、許し合って仕方ないなあって笑っていられる寛容さを忘れないでいたい。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。作家・作詞家。近著に、詩画集
「今夜 凶暴だから わたし」(ちいさいミシマ社)、絵本
『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)。主な著書にエッセイ集
「いっぴき」(ちくま文庫)、絵本
「赤い金魚と赤いとうがらし」(ミルブックス)など。翻訳絵本
「おかあさんはね」(マイクロマガジン社)で、ようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどアーティストへの歌詞提供も多数。公式HP:
んふふのふ