子どもは思わぬ行動に出るもの。ここではESSEの人気連載「500円の幸せ」から、五百円玉の行方に「あっ!」となった思い出をご紹介。

この連載では、500円にまつわるクスッと笑える話から、ほろりと泣けてしまう話まで、読者から寄せられたさまざまなエピソードを紹介していきます。

財布を下げてお散歩していた幼い息子。ある日、思いがけない行動に出て…

財布を下げてお散歩していた幼い息子。ある日、思いがけない行動に出て…
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息子が3歳になろうとしていた時分だったろうか。下の子どもがおなかにいた私は、日中は息子とふたりきり。散歩がてら、公園や児童館に連れて行くのが日課だった。

息子は、いつもおばあちゃんから買ってもらったキャラクターが描かれた財布を首からぶら下げて出かけていた。

最初はからだった財布には、そのうち紙でつくったお金が入り、やがて本物のお金を入れたいと言い出すようになった。

ちょうど同じ頃、親せきの子どもが百円玉を誤飲した話を聞いていたので、大きい硬貨の方が飲む心配はないかと思い、五百円玉を財布に入れてやることにした。

散歩の途中で、コンビニやパン屋さんに寄って、飲み物や駄菓子、お昼に食べるパンなどを五百円玉で買う。冬には、公園の池の白鳥のエサとして大量のパンの耳を買ったりもした(もちろん人間もいただいた)。

会計のときに、財布から五百円玉を取り出し、お店の人に渡すまでが息子の役目。おつりは細かくなるので私がもらう。五百円玉で今日はなにを買おうかと、2人で考えるのも楽しい時間だった。

募金活動を見かけた息子。タタターッと駆け寄り…

ある日、電車を眺めようと駅の近くを通ったら、募金箱を持って立っている高校生たちがいた。お金を入れている人を息子も見たのだろう。タタターッとその高校生に近づくと、あっという間に、首から下げた財布から五百円玉を取り出して、ぽとりと箱の中に入れた。

「きゃあ、かわいい!ありがとう!」

歓声を上げる高校生たちと満足げな息子とは裏腹に、「あぁ、今日の500円…」と、募金箱を見つめる私。
所持金を全額募金したわが子に、その後パンが食べたいとダダをこねられ、理不尽さを感じながら、横抱きにして家に帰った。

幼稚園に上がる前の、子どもといちばんゆっくり過ごせた懐かしい時代。思い出は美化されるから、大変だったことも、疲れたことも忘れてしまって、ただ、あの頃の小さかった息子に会いたくなる。そんな息子も今では16歳。

ときどき、こづかいを募金しているそうだ。もっとも、あの頃の記憶はないだろうけれど。

(福島県・46歳)