毒親の母のように、気づけば子どもに手をあげていた私。児童相談所へ助けを求めたら…
2016.12.12
  • この記事を
    シェア

 毒親という存在を知っていますか?子どもを自分の思いのままに操ろうとし、結果的に、子どもの人生をめちゃくちゃにしてしまうが親が今、増えているといわれています。そしてそんな毒親に苦しむ女性たちも…。今回は、過干渉の母親に翻弄され続けたある女性の心の内を紹介。毒親から受ける影響というのはどのようなものなのか、参考にしてみてください。

毒親に苦しむ女性

●高橋麻衣子さん(仮名・40歳)
DATA
●家族構成…夫40歳、長男9歳、二男6歳
●実母の年齢…享年68歳
●教育ママで干渉の激しかった母に暴力を受けながら育つ。18歳で進学と同時に家を出て以後、年1回帰省。3年前、孫との約束を平気で破る母に怒りを感じ、連絡を絶つ。昨年末、母のがんが発覚するもすぐに駆けつけず、葛藤を経て亡くなる直前に面会

教育ママが怖い
写真はイメージです

母が手をあげるのは密室で。私と妹は分断支配されていました

 今夏、母をがんで亡くし、遺品の整理などをとおして、それまで疎遠だった妹と話をするようになりました。私たち姉妹は、母から幼い頃に2人で遊ぶことを禁じられていたこともあり、この年になるまで、ほとんど関わり合いをもたずに生きてきたのです。
「じつはお母さんにずっと虐待されてきたの。『お姉ちゃんはちゃんとできるのに』と、いつも比べられ、すごく苦しかった」という妹の言葉に耳を疑いました。だって虐待されて育ったのは私も同じ。そして、私もまた「妹はちゃんとできるのに」と比べられ、傷ついてきたのです。

 母は、いわゆる教育ママで、計算が遅い、覚えが悪いと理由をつけては、私をハエたたきでぶったり、つねったりを繰り返してきました。友達に書いた手紙を勝手に読まれ、「なんでこんなこと書くの!」と書き直しを命じられたり、友達から来た手紙はすべて開封されたり…とにかくなにからなにまで干渉されました。母が私に手をあげるのは、いつも2人きりの密室。妹もまた同様で、私たちは同じ家で同じ目に遭って苦しみながら、これは自分だけに起きていることだと思っていたのです。

 父は忙しく家庭に興味をもたないタイプ。それをいいことに、というよりも、それだからこそ、母は私たちを虐待したのかもしれません。私は18歳で進学と同時に家を離れ、卒業後も実家に帰らずに就職しました。そして、結婚後も距離をとったまま、年に1回程度帰省するだけ。一つ屋根の下にいたら、とてもやりきれなかっただろうけれど、家を飛び出したおかげで、なんとか断絶せずにやってくることができたのです。

 子どもが生まれてから、孫に会うために母がときどき家に来るようになりました。私はちっとも歓迎できなかったけれど、息子たちがおばあちゃんを慕っていたのでなんとなく受け入れることに。ところが、母は相変わらず気分屋で自分勝手。3年前の夏休み、長男と出かける約束をしていたのに、母が自分の都合でドタキャン。母のせいで長男の夏休みが台無しになったことを私がとがめたら、母は逆ギレ。これをきっかけに、母とは絶縁状態になりました。

幼少期
写真はイメージです

母のようにいつの間にか子どもに手をあげるようになった私。助けを求めて児童相談所へ

 あのとき母に対して感情的に対応してしまったのは、私自身も子育ての大きな悩みのなかにあったからです。じつは、長男には発達障害がありました。でも、この時点では診断がついておらず、私は自分の育て方が悪いのだ、と自分を責めていたのです。根は優しい子なのですが、落ち着いて人の指示を聞いたり、じっと我慢したりすることが苦手。しつけにはかなり手こずり、あろうことか、私は、母が私にしてきたのと同じように、長男に手をあげるようになっていたのです。

 あるとき、私が振り上げた手におびえた長男の瞳の中に、一瞬母の姿が見えたような気がしました。ああ、私のなかに母がいる。なんとしても長男を守らなければ。私は思いきって児童相談所へ出向き、親から自分がされてきたこと、そして今自分がしていることを打ち明けました。

 虐待されて育った親である私のケースは、相談所にしてみれば、緊急介入を要するケースだったのでしょう。悩みを聞いてもらいたかっただけなのに、長男を1か月間預かると言われ、びっくりして相談を取り下げてしまいました。その後、発達障害であるとの診断がついて治療の対象になってからは、私も落ち着き、長男との関係は少しずつ改善の方向へ向かっています。

 昨年末、母が末期のがんで入院。連絡を受けても、駆けつける気にはなれなかった私ですが、いよいよというときになって、長男を連れ病院へ。葛藤を抱えた私が素直に動けなかったのに対して、長男は優しく自然におばあちゃんに寄り添ってくれたのです。その後母は帰らぬ人となり、私はつらかった幼少期を思いながら、仏壇に手を合わせる毎日です。

<取材・文/ESSE編集部>