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阪神淡路大震災から25年…「関西に地震は来ない」と思っていた

ESSEonline編集部
2020.01.17
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●まわりの人たちが協力的だったのが忘れられない

6歳で、兵庫県芦屋市に住んでいました。祖父母の家はつぶれました。私の家はピアノが壁に穴をあけました。
近くでは高速道路が倒れたりライフラインは場所によってはとても遅れていました。

そんななかでも、まわりがみんな温かく、協力的で感動しました。みんなで必死に復興しようという思いが強かったように感じます。祖父母の隣の家もつぶれ、埋まっている人がいましたが、私の両親や近所の人みんなで助けました。

毎年1月17日には、小学校で追悼式がありました。小さいながらに「毎日のバイバイが叶わないこともある」と思いながら過ごすようになりました。

この経験から、お風呂の水をためがちだったり、日持ちするものや乾き物をストックするようにしています。
ゴミ捨てさえも、子どもを置いて外に出るのが怖いです。家族とのさようならに後悔がないようにしようと思って過ごすこともあります。
(Kさん・31歳)

●震災を忘れないためにルミナリエに

イルミネーション7歳で、大阪府高槻市に住んでいました。食器が割れたり砂壁が崩れたりしました。
7年後、神戸市北区に引っ越すと、まだ仮設住宅がありビックリしたのを覚えています。

地震を機に、家族で避難場所を決めました。また「神戸ルミナリエ」はイルミネーション目的のお客さんが多いと思いますが、神戸市在住の人間として、震災を忘れないために毎年行っています。
(Sさん・32歳)

●足の踏み場もないほど食器が割れた

当時、中学生で、大阪市内のマンションに住んでいました。
大阪は震度4でしたが、就寝中、ダーンという音と同時に下からつき上げられて揺れ出しました。つり下げ照明が大きく揺れ、食器の割れる音がずっと聞こえていました。台所は足の踏み場もないほど食器が割れていました。

隣のマンションは壁に亀裂が入っていました。学校は休校になり、子ども心にショックで、コタツの中で胃が痛いといって寝込みました。

大阪市内は被害がそれほどありませんでしたが、神戸市や淡路島で被災した人の話を聞くと、木造の家は倒壊や火事が怖いと感じるように。それ以来、住むのは絶対にマンション。もし戸建てでも鉄骨の家にしか住まない、と決めています。
(Iさん・40歳)

<取材・文/ESSEonline編集部>

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