吉川トリコ『女のタイマー点滅中』第3回「正月アイドル」
吉川トリコ
2019.03.09
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“少女・女性”を描き続ける小説家・吉川さんが、今を生きる女性、そして自身の「女性としての体と心」についてつづります。

この年末年始はこれまでになく子どもたちがかわいく見えた

子ども 前回の原稿を書きあげた直後、図ったかのように例の質問を受けた。
「アイガイッソヨ?」
 韓国語で「子どもはいますか?」の意味である。
 一年ほど前から韓国語を習っているのだが、今年最初の授業で、「年末年始に親戚や友人らの子どもと会って楽しかった」と話したところ、ごくごく自然な流れで先生からその質問が投げられた。
「アイガオプソヨ~」(子どもはいません)
 と笑って答えたものの、理由や詳細について述べられるほどの韓国語力はまだなく、先生もそれ以上突っ込んだことは訊いてこなかったのでそのままいつもの授業がはじまった。前回の原稿を書いたときにはまったく想定していなかった、なんとも中途半端な事態に陥ってしまったわけだけど、まあそんなものですよね……。

 それにしてもどういうわけだか、この年末年始はこれまでになく子どもたちがかわいく見えてまいってしまった。
 基本的に私は子どもが苦手で、正月の集まりではしゃぎまわる子どもたちを正直じゃまくせえなと思っていた。子どもがいると落ち着いて話ができず、話題だってすべて子どもにかっさらわれてしまうし、人工甘味料たっぷりの菓子やジュースを与えてはいけないんじゃないかとか、虫歯菌がとか、この家は子どもに〇〇と言ってはいけない教育をしてるんじゃないかとか、なんやかんや気を遣うことも多くて、大人を相手にするよりよっぽど気疲れする。
 かといって、あからさまにいやそうな顔をするわけにもいかないからウェルカムな雰囲気を装おうとするのだけど、いかんせん刷毛でざっと一塗りした程度の極薄メッキなものだから、ふとした瞬間地金がのぞいて子どもをびびらせるはめになる。幼児語を用い、声音を変えて、思いきり媚びてみようとしたこともあるが、あとから深い自己嫌悪に陥ったのでそれもすぐにやめた。
 私が子どもの頃は、大人と子どもの世界は厳然と分けられていた。いまより子どもの数が多かったから扱いも雑なものだったし、大人は子どもに対しずっと冷淡だった。親戚の集まりで大人と子どもの食卓を分ける(あるいは別室に追いやられる)のはあたりまえだったし、いっしょに遊んでとせがんだところでじゃけんに追い払われた。
 普段の生活においても、めったに家にいなかった父はもとより、母にさえほとんど遊んでもらった記憶がない。
「ママ車で寝てるから、パパと行ってこやあ」
 ディズニーランドの目の前まで行って、母からそう告げられた時の衝撃はいまなお鮮やかに残っているが、両親が離婚する直前のことだったから、父と一緒にいたくなかったんだろうなとか、生理もしくは低気圧の影響で体調が悪かったのかなとか、あの時の母の年齢をはるかに超えたいまなら斟酌(しんしゃく)もできる。それどころかもし私が母の立場だったとしたら、たとえ夫婦仲や体調が万全だったとしても、子どもにつきあってディズニーランドなんてマジかったるくてかんべんしてくれというかんじである。「ママ家にいるから、パパと行ってこやあ」と笑顔で送り出し、昼からビールを飲んでNetflixである。
 そう考えると、ディズニーランドの駐車場までついてきてくれたうちの母すごいな? 素直に尊敬する。

 昔はよかった、なんてことを言うつもりは毛頭ないが、この頃の大人は子どもにすこぶる甘いんだなあとつねづね私は思っていた。子どもがかくれんぼをしたいと言い出せば、すすんで鬼を買って出たりする。ゲームで負けそうになってべそかく子どもに勝ちを譲ってやったりする。子どものすることなすことに、「おっ、すごいね~」「上手上手~」と骨抜きのメロメロになったりしている。
 アイドルじゃあるまいしそんな精度の低いお絵かきや物真似を褒めそやすなよ! 世の厳しさを教えてやらんと! と若干苛立たしく思っていたはずの私もなぜか今年ばかりは、
「きゃんわうぃぃぃね~~~」
 子どものすることなすことに手を叩いて喜び、床を転げまわる勢いで悶えていた。ファンサ(お手振りやスマイルや手垢まみれのグミ)を貰おうものなら昇天せんばかりであった。
 これはもしかしてあれだろうか。ほれほれ、子どもかわいいだろ? 産んどけよ、最後のチャンスだぞ産んどけって、と内なる声が囁(ささや)きかけているんだろうか。なけなしの母性が断末魔の雄叫びをあげているとか?
 ならばいっそ、めくるめくような母性の嵐でさらってくれればいいものを、スーパー銭湯の休憩所で走りまわる子どもには、くそ、うるせえなあ、とつい思ってしまうぐらいのさざなみでしかないから困ってしまう。溢(あふ)れんばかりにあるか、まったくないかのどっちかだったらさっぱりするのに、なんとも中途半端なんだよなあ。
 
【吉川トリコ】
小説家。1977年、静岡県生まれ。名古屋市在住。2004年、短編「ねむりひめ」で「女による女のためのR-18文学賞」の大賞と読者賞を受賞してデビュー。著書に『ずっと名古屋』(ポプラ社刊)、『ミドリのミ』(講談社刊)、『マリー・アントワネットの日記 Rose&Bleu』(新潮社刊)など

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