もしものときに後悔しない、親孝行の基準とは
2018.12.02
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こんにちは。若松美穂です。主婦業のかたわらエッセイストなどもやりつつ、楽しく、豊かに暮らすためのさまざまな工夫を提案しています。テーブルまわりを中心に、生活のなかの小さな発見をつづっていけたらと思っています。若松美穂のおいしい生活

親が生きているあいだに、できること、やれること

ある時期、70代の女優さんの訃報が続いていたときのこと。
母が言いました。「私は今、病気ではないけれど、12月で74歳だもの。ある程度、寿命が提示されていると考えてもおかしくない年齢なのよね」と。

確かに、そういわれてみればそのとおりだとも思いますし、寿命はだれにもわからないから、まだまだと考える人もいるかもしれません。

赤い葉ここから書くことは私個人のことになるので、ほかの方にも必ず当てはまるわけではありません。
ただ、いろいろな思いや関係性があると思うので、ひとつの例として読んでいただけたらいいなと思っています。

●別れが訪れたとき、後悔しないために

私は、のちのち後悔が少ない自分でいられるよう、父亡きあと、なるべく母と一緒に過ごせるよう工夫をしてきました。
彼女を大切にしたいですし感謝も伝えたい。今できることはしたいなと思っています。

ただ、これまで身内やいろいろな方との別れを経験してきましたが、大切な人が亡くなったあとで“後悔がまったくない”というのは、少ないことでしょう。
どんなに精一杯やったとしても、多少の後悔はあるもの…でしょう。周囲を見渡しても、そのように感じます。

かえでいろいろしてあげたいという思いとは裏腹に、自分にも仕事や生活があり、母の思いは知りつつも、かなえてあげられないことも。

遠くに住んでいたり、子どもの方に手がかかってしまっていたり、金銭的に余裕がなかったり…人それぞれに事情は違います。
そんなご自分を責めていらっしゃる方の話を聞いていると、私も心が痛むこともあります。

私の場合は、あくまでも、自分の時間を犠牲にしてまでなにかをしたり、無理にしたりは、しないようにしています。

重点を置いているのは、あくまでも、私がしたい(どこかに一緒に出かけたいとか、時間を過ごしたい)と思うかどうか、自分に余裕があるかどうか。

自分を基準に決めないと、「こんなにしてあげたのに」とか「私だってなんとか時間の都合をつけたのに」と、親に恩着せがましくなってしまったり、だれかを責めたり、家族にも必要以上の協力を求めたりして、周囲とギクシャクしてしまうことがあるのです。

●だれかのケアをすることだけを生きがいにしない

山道また、母に何かすることで「自分がここにいる価値」を見い出すのも違うのかなと。
だれかのケアをすることだけに生きがいを見つけてしまうと、それがなくなったとき、自分が空っぽになってしまいます。

母と私は、遅かれ早かれ、必ず別れる日が来ます。
私はその後も、私として生きていけるよう、自分の環境をつくっていく・整えていく必要があると感じます。

母自身も、大切な自分の両親、夫(私の父)、妹を亡くしたとき、悲しみとつき合いつつ、それまでやってきた仕事や趣味、人間関係に支えられていました。
そんな姿を、私も近くで見ていました。

どんなに近くにいても、それぞれが自分の人生を歩き、ときにともに過ごし、できるときに助け合うくらいがちょうどいいと、今の私は思っています。

かえでと灯篭旅行に連れ出したり、病院の送り迎えをしたり…ができなくても、電話でちょっと話したり、メールで様子をうかがったりすることはできます。
遠くにいるのなら、手紙を書いて近況を知らせることも。小さなことでも、今できることを大事にしていけたらと思います。

「したかったらする」「できるときにする」。それが、私の親孝行の基準になっています。

【若松美穂(わかまつみほ)】
お金をかけずにセンスと工夫でおしゃれに暮らすカリスマ主婦読者として、生活情報誌『ESSE』や『サンキュ!』などで紹介され人気者に。2011年、心理カウンセラーの資格を取得。主婦業のかたわら、エッセイストとしての執筆活動のほか、講演、各メディアへの出演など多方面で活躍。夫と、大学生、高校生の娘、母親の5人家族。埼玉県在住。公式サイト「“いま”と“みらい”のへや」にて最新情報を更新中

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