神話にゆかりの深い神社で、奇妙な殺人事件が発生。その謎を解き進めるうちに判明する、さまざまな人の意外な過去や人間関係…。鳥取県・日南町を舞台に描かれたミステリー

『日南X』

は、本格ミステリーでありながら、家族や生き方について考えさせられる人間ドラマでもあり、さらには地元の見どころがたくさん詰まった作品です。
この小説の著者・松本薫さんに、作品に込めた思いと日南町の魅力を聞きました。

松本薫さん

神話をモチーフにすることで独特の空気感が出ました

――松本さんは鳥取県の米子市出身だそうですが、もともと日南町になじみがあったのですか?

松本薫さん(以下、松本さん):私の母が日南町のある日野郡の出身で、叔母も日南町の近くに住んでいるため、日南町にも子どもの頃から何度か訪れたことがありました。日南町は大阪市の1.5倍という広さなのですべてを巡ったことはありませんでしたが、子どもながらに「いいところだな」とは思っていましたね。

――具体的にどのような部分を「いいところ」と感じていたのですか?

松本さん:日南町は中国山地の脊梁部の標高が高い地域で、そう聞くとたいてい山に囲まれた圧迫感のある風景をイメージされると思うんですね。でも、あの辺りには山を削って採った砂鉄を元に鉄を得る「たたら製鉄」が盛んだった歴史があり、山を削った跡に田んぼがつくられたので、意外にもぽっかりと開けているところが多い。その不思議な開放感のある風景がすてきだと思っていました。

――そんなのどかな日南を舞台にミステリーを書こうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

松本さん:そもそも

『日南X』

は日南町の町政60周年記念小説として企画されたもので、ミステリーというのは私からの提案でした。日南町はミステリー小説の大家である松本清張さんゆかりの地だし、ミステリーに挑戦したいという気持ちもあったので。前町長は「ミステリーかぁ…」と少し悩んでおられましたが、結局了承してくださいました。

――ミステリーといえば殺人事件。地元が殺人事件の現場になるわけですから、悩むかもしれませんね。

松本さん:そうなんですよ。だから、ただの怨恨によるおどろおどろしい事件ではなく、人間ドラマを重視した事件にすることを心がけました。日本神話に登場する神・オオクニヌシ(大国主命)をモチーフにしたことで、殺人事件そのものにも独特の空気感が出せたかなと思っています。

――たしかに、オオクニヌシの力が働いているかのような、儀式めいた雰囲気も出ていますよね。

『日南X』

ではオオクニヌシが重要なモチーフとなっていますが、それは最初から決めていたのですか?

松本さん:オオクニヌシの国造りにまつわる神話が数多く残っている山陰地方の人間にとって、オオクニヌシは大きな存在です。「兄神に殺されたオオクニヌシがよみがえった地」という伝承のある赤猪岩(あかいいわ)神社と大石見(おおいわみ)神社とともに、ぜひとも登場させたいと最初から考えていました。

――その2つの神社をはじめ、作品の中ではどの場所も立地や風景が綿密に描かれていますよね。執筆前にかなり現地を回られたのでは?

松本さん:そうですね。日南町への移住希望者が町内での生活を体験するために用意された「お試し住宅」に10日間滞在し、クルマでいろんなところを回りました。大石見神社もこのときはじめて訪れたのですが、イメージが膨らむような立地条件と雰囲気で、「やっぱりここだ!」と思いました。とくに2本並んだ銀杏杉は、メインとなる事件の大きなインスピレーションになりましたね。

メインとなる事件の大きなインスピレーションになりました

――もうひとつの事件に関わる石霞渓(せっかけい)も気になりました。「川の中に大きな石がある紅葉の名所」と書かれていたので、一度見てみたいなぁと。

松本さん:あそこも、通天橋という橋から渓谷を眺めながら「このロケーションは使えそうだな」と。事件に使えそうな場所だなんて失礼ですけど、美しい場所は絵になりますから。花見山も名前のとおり一面に咲いた花がきれいだったので、作品のなかに登場させました。そもそも標高が高い日南町の山はそれほど高くないものが多く、花見山も頂上までクルマですぐ。この気軽に登れる感じもいいと思いました。標高が高いおかげか、日南町は星も本当にきれいに見えます。鳥取県は“星取県(ほしとりけん)”と名乗るくらい星がよく見える地域なのですが、なかでも日南町の夜空の美しさは格別ですよ。

――先ほど松本清張の名前も出てきましたが、日南町は文学にもゆかりのある地ですね。

松本さん:清張先生は父親が日南町の矢戸の出身で、ご本人も何度も日南町を訪れています。『父兄の指』という作品に矢戸への深い思いが書かれているのですが、子どもの頃から父親に「矢戸はすばらしいところ」と聞かされていた影響もあるのでしょうね。生前、清張先生は「いつか日南を舞台にした小説を書く」と宣言されていたので、それがかなわず亡くなられたときは町民のみなさんもガッカリしてしまったそうです。その清張先生が亡くなられた年が1992年だったので、小説の舞台を1992年にし、清張先生をストーリーのフックにさせてもらいました。

――松本清張親子のふるさとへの思いが、

『日南X』

の登場人物たちの言動に重なり、ストーリーに深みを与えている気がします。

松本さん:初挑戦のミステリーを仕上げるのは大変でしたが、この作品からそうした人間の複雑な思いなども感じ取ってもらえたらうれしいですね。

神話にまつわる神社や自然豊かな山など、小説の舞台には見どころがいっぱい

『日南X』

のなかには、さまざまな観光スポットが登場します。その楽しみ方を松本さんにうかがいました。

【花見山】

花見山

スキー場のゲレンデに春から秋にかけては季節の花が咲き誇る、1年を通して楽しめる山。春はスイセンやシャクナゲ、夏はアヤメやササユリ、秋はマツムシソウや紅葉が見頃で、頂上には360度を見渡せる眺望が待っています。

「登山道が整備されていて起伏もなだらかで、山頂までの距離もすぐなので、子どももお年寄りもお散歩感覚で楽しく登ることができると思います」

【大石見神社】

大石見神社

古事記によれば、兄である八十神に二度殺され、二度とも復活したと伝えられているオオクニヌシ。大石見神社はオオクニヌシが二度目に復活した地で、たび重なる受難からも復活再生するパワースポットとして有名です。境内には鳥取県の天然記念物に指定されている樹齢約600年の「オハツキ・タイコイチョウ」というめずらしいイチョウの木も。

「鳥居に続く石段など、風情いっぱいの神社。小説の中に登場する2本並んだ銀杏杉も、ぜひ探してみてください」

【石霞渓】

石霞渓

南北2kmにもわたる一大渓谷で、昭和8年に当時の文部省から指定を受けた景勝地。奇岩や怪岩が目を引く男性的な「南石霞渓」と、ゆるやかで女性的な「北石霞渓」に分かれ、春の桜や初夏の藤、秋の紅葉の名所としても知られています

「初夏の新緑の季節も涼しげで気持ちがいい。通天橋はとくに眺めのいいスポットなので、ゆっくりと渡りながら水の流れや木々を堪能してみては」

松本さんは、これまでに鳥取県江府町を舞台にした時代小説

『天の蛍 十七夜物語』、日野町・日南町で行われていたたたら製鉄をテーマにした『TATARA』といった小説を発表してきました。今回、新作『日南X』

の発売を記念して、この3部作を取り上げたフェアを三省堂書店有楽町店、有隣堂横浜西口店で実施しています(2019年11月中旬まで)。
この機会に、鳥取の魅力を感じられる小説を手に取ってみては?

3部作

【松本薫さん】

鳥取県米子市生まれ。2000年「ブロックはうす」で早稲田文学新人賞を受賞し、2005年「梨の花は春の雪」が鳥取県西部で制作される市民シネマの原作に選ばれる。おもに鳥取県内の歴史や、ゆかりの人物をモチーフにした小説を書いている。『梨の花は春の雪』(2006)、『TATARA』(2010)、『天の蛍 十七夜物語』(2015)『ばんとう―山陰初の私立中学校をつくった男』

(2017)で鳥取県出版文化賞を受賞。