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毒親に心を壊された私。過剰な愛情や潔癖症がトラウマに…
西出弥加
2019.12.19
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絵本作家の西出弥加さんは発達障害という特性をもちながら、結婚生活を送っています。テレビのドキュメンタリー番組でも取り上げられるなど、弥加さんご自身も発達障害についての発信を続けています。
今回は、そんな弥加さんの生い立ちについて語っていただきました。

両親は“毒親”だった?過剰な愛情に心を壊した幼少期

西出弥加さん
絵を描きながら発達障害に関する発信を続ける西出弥加さん
私がASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー)だとわかったのは今から3年前、28歳の頃です。会社員として社会生活を送るのが困難になってしまうことが多く、半年以内に5回も会社を辞めていることもあり、次第に何かあるんじゃないかと思い、行った先のクリニックで診断されました。それ以来、自分からこの特性について発信してくようになりました。

もちろん先天的なものもあると思いますが、私の場合は、幼少期の影響も多少あったのではと思うことがあります。

7歳のときに母から「あなたは1歳」と言われました。私の発達に遅い部分があったからです。でもその原因は、過保護すぎる両親が私のことをほぼ軟禁状態にしていたからもあるのではと感じています。外の世界を知らないから7歳としてのコミュニケーションが取れなくなっていたのです。私も私で、人と話さないし泣かないし笑わない、無表情でコミュニケーションしない無愛想な子でしたが、両親も積極的に私を外には出さなかったのです。理由は、大事に育てたかったからです。決して、悪気があってやっていたことではないです。

私が生まれる1年前、私の姉が病死したことで、両親は大きなショックを受けました。あまりのショックに「次女だけは、絶対殺すまい」と誓ったようです。それ以来、両親、とくに父親の潔癖症は加速しました。

●365日、常に緊張して過ごしていた。安心できるのは病院だけ

私は公園で砂を触らせてもらえず、飲食店に行ったら必ずアルコール綿でコップやテーブルをふきます。そして買ってきたものはすべてふくのです。ものを地面に落として拾おうとしたら反射的に怒鳴られます。人に話しかけることも許されませんでした。すべての理由は「汚いから」「人に触れたら病気がうつるから」です。

子どもが「ものを落とさない」ようにするのは難しいこと。私は幼少期からずっと怯えながらしっかりと集中してものをつかんでいました。次第に自由がきかなくなり、まわりの環境はさておき一点しか見れない性格になりました。365日、寝ているととき以外のすべての時間を私は、緊張とともに過ごしていたのです。心臓が壊れそうでした。

もちろん親として子どものことを考えているからだと思いますが、両親の顔色を常にうかがい、私の心はどんどん死んでいきました。幼い私は精神を病んで、また風邪をひいて、両親が具合の悪い私に怯え、病院に連れて行く。この連鎖の繰り返しでよく寝込んでいました。両親といると気が休まらないから、唯一、笑顔で接してくれたお医者さんがいる病院が安心できる場所でした。病院の待合室の香りには、今でも実家に帰ってきたような安心感があります。

●虐待の跡がないから、だれも助けてくれなかった

西出さんの作品
西出さんの作品。子どもの気持ちに立った詩を添えて
子どもの私は、服も新しいものを着ていて、お風呂に入っていて、殴られた痕もない。見た目だけ見ると恵まれた子だと思われ続け、私の心のモヤモヤを聞いてくれる人はどこにもいませんでした。

具合が悪くなった私に、学校の先生は「母子家庭の子もいるのよ、あの子の方がかわいそうでしょう」と言いました。だれにも話せない自分の胸は黒い闇でいっぱいになりました。両親がそろっていたら絶対に幸せ? 母子家庭なら絶対に不幸せ? 次第にその胸のつかえが大きくなり、食べることはできなくなりました。

私は家でなにをしても両親に怒られるし、なにかを触ると怒られるので、なにもできなくなりました。そのとき母に言われたのが冒頭の「あなたは7歳じゃなくて1歳」だったのです。
それに私は、小学校になるまで人としゃべったことがないので、友達との接し方がわかりませんでした。学校から帰ってくると、母に「あなたはだれといてもしゃべれもしないで、泣いて帰ってくる」と言われました。私だけが悪いと言われ続けて育ちました。
涙は出ませんでした。お母さんごめんね、私がなにもできない子で…。

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