主婦業のかたわらエッセイストとしても活動する若松美穂さんが、楽しく、豊かに暮らすためのさまざまな工夫をつづります。

東日本大震災を機に、実の母と同居を始めた若松さん。家族だからといって、最初からスムーズにいったわけではないと言います。
同居生活で感じたことを執筆していただきました。

母と私のドタバタ暮らし~母は料理ができない~

カレー
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震災後、母がわが家に住み始めました。彼女は高校卒業後から65歳だった震災時まで、今の私の年齢に近い年数・約47年もの間、美容師を続けました。何度もコンテストに出て入賞(なぜか優勝したのはスピーチの部)、海外旅行も獲得。休日は講師や美容雑誌の撮影に出かけるなど大忙し。美容師としては一流だったと思います。それだけではなく、お店で販売する髪飾りなども自分でつくっていたので、お店にいる母の姿ばかりが思い出されます。

ともに暮らしてみて驚いたのは、母は料理ができなかったこと。そこに気がついたのは、同居してからでした。「18歳まで一緒に暮らしていたのに、知らなかったの?」と言われるのですが、そう、気がつかなかったのです。なぜなら、従業員さんの数が10人ほどいたときもあったわが家、食事の用意は当番制でした。

祖母も美容師でしたが、私が生まれた後は母のサポートにまわりました。台所は祖母がリーダーです。メニューを決めて買い物の後、祖母と従業員さんが交代で16人分(家族と従業員さん分)の食事つくります。母がつくらなくても大丈夫。母しかいない日でも、ご飯を炊く、魚を焼く、卵料理くらいはできます。残りものもあるので、食卓には食事が並んだのです。

私が高校生になる頃、母が私に聞きました。「お弁当と髪を洗ってもらうの、どっちがいい?」。気持ちがよくて楽な方…、私は髪を洗ってもらうことを選びました。そこでも、母は料理ができないことより、シャンプー台で横になって髪を洗ってもらう方を、自分が選んだとしか、私は思っていませんでした。もちろん、ときにはお弁当をつくってくれたこともあったでしょう。一方、朝早いお客様がいらっしゃればそちらが優先ですから、できない日もあるのですが。

「料理ができない」は少し語弊があるかもしれません。なぜなら、漁港育ちの母ですから、魚をおろしたり、イクラをつくったり。「え? それはできるんだ!?」みたいなものもあるのです。ただ、肉の違いと使い方がわからない・調理手順がわからない・味つけができない。
なにより困ったのは、つくり方が書いてあるのに、そのとおりにしない。できないのに工夫をする。
65歳でカレーのつくり方を知らなかったのには仰天しました。

一家に主婦は二人いらないから忙しく過ごそうと思っても、帰宅後、家族5人の買い物と料理が残されているのは、私の気持ちをブルーにしました。同居から10年、私にゴチャゴチャ言われながら、母はできることを増やしました。サラダ、焼くだけのお肉、浅漬けの素でつくる漬物。
「ん、それって料理?」
いいのです。いいのです。なにもないより、私はありがたい。

そうだ! イモサラダだけは、母の得意料理。自分が好きだから…ですって(汗)。

【若松美穂(わかまつみほ)】

お金をかけずにセンスと工夫でおしゃれに暮らすカリスマ主婦読者として、生活情報誌『ESSE』や『サンキュ!』などで紹介され人気者に。2011年、心理カウンセラーの資格を取得。主婦業のかたわら、エッセイストとしての執筆活動のほか、講演、各メディアへの出演など多方面で活躍。夫と娘2人、母親の5人家族。埼玉県在住。公式サイト「

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