作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。春の訪れを感じる今、そして不安定な今の情勢の中で、手を動かすことの大切さについてつづってくれました。

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第66回「手を動かして、晴れてゆく」

暮らしっく
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●徐々に春が訪れている

庭の野菜に薹が立ち始め(花が咲くこと)、春の訪れを知る。家の二階のベランダまで成長した巨大なアカシアの木で、ミモザの蕾が揺れている。3月頭には満開だろうねと夫と話していたけれど、咲きそうで咲かない。陽のよく当たる枝からひよこの毛のような初々しい毛が一つ二つ。満開になるのはまだ先のようだ。

ミモザの蕾と花
ミモザの蕾と花

「そう簡単に春になりませんよ」と言われているようで、そうだよね、そうだったよねと、セーターを洗うのを先延ばしにした。

春がうららかであればあるほどに、ウクライナのことが胸にめりこんで離れなくて、それなのに、原稿の締め切りは来るし、確定申告しなきゃいけないし、お腹はすく。無力さに苛まれながら、私達はそれでも日常を過ごしていく。

 

●庭仕事をしながら冬を振り返る

紅菜苔
紅菜苔の花が咲いた

手を動かす。軍手をはいて外に出て、庭の手入れ。そろそろ種まきの季節だ。冬の野菜を植えていたところの土をシャベルでざくざくと混ぜて、堆肥や糠を混ぜ、植替えの準備をする。今年は愛媛の赤い餅キビと、山梨のポップコーンの種をもらっているのでトウモロコシを植えてみようと思っている。ただ、同じ品種同士が近くに植わっていると自然交配して実があまり着かなかったりするので、植える時期を2週間ずらすといいですよ。

この冬、近距離でアブラナ科の、白菜、青梗菜、紅菜苔、水菜を育ててしまって、「これ、白菜? でも水菜っぽくない?」みたいなことがおこった。白菜に至っては、植える時期が遅かったからか上手く巻かなくて、見た目的にも何かわからない。食べてみると、おお…やっぱり白菜+水菜+青梗菜、他にもいろいろ混ざった味がする。それはそれで野性的でとっても美味しかった。私達が予想しない種の不思議。東京の猫の額ほどの庭とプランターでも、サイエンスは起こりうる。

 

●糠床もこれからが発酵の季節。手を動かすと暮らしが整っていく

ニンジンの糠漬け
ニンジンの糠漬け

糠床を混ぜる。冬の間は休眠状態だった彼らも、活発に発酵してきたので、2日に1回は混ぜ混ぜしていく。ニンジンを出し、ぽりぽりかじり、ああ2日でここまで浸かるようになったかと、春を思う。夏になると糠床は冷蔵庫に入れないと発酵が進み過ぎて、去年は駄目になってしまった。こうして失敗を何度繰り返しても、やり続ける限りは成功だ。

新しい、野菜を入れて手を洗うと、右手だけつやつやになっていて匂うと糠臭い。家庭用精米機で米を精米をするたびに糠をためておいて、糠床に新しい糠を継ぎ足したり、布に包んで風呂に入れたり、畑にまいたりして活用している。ふかふかして頼りない顔をしていても、糠はとても働き者だ。野菜の水分で糠床の水分は増していって腐敗に繋がるので、ときには三分の一を捨てて新しい糠と塩を足して循環させる。まあ、こうしていても腐る時は一気に腐るから気軽にするのがいい。何年ものが駄目になるとちょっと落ち込むので、半分を冷凍保存しておくという方法もあるよ。

手を動かしていくと、気が晴れる。生活の全般が整っていく。ついでにこれもやっておこうとか、美味しいものを食べよう、という気になってくる。体と心は繋がっている。世界も繋がっている。東欧に思いを馳せ自分にできることを考えながら、今日を更新していこうと思う。